@kanto_ce ですねぇ。それと写真拡大して杭上の矢印が線路と直行する形になってる事に今気付きました。写ってるマンホール部分までは外務省名義のまま残置状態でJRに図面とか諸々引き継がれてるのかもしれません。
2023-03-09 21:05:19@kanto_ce @niwasuke_colopl 入管は1954まで外務省管轄でした。しかし大井ふ頭の完成は1971、地理院の航空写真で変電所が現れるのは1974近辺。 その周り(写真左 地理院航空写真74~78年)を見ても何もないんですよね…。線路を跨ぐのであれば東西方向の配管だろうし。 何らかの用途で用地整備だけして、計画倒れしたとか。。。 pic.twitter.com/krvdTLwykP
2023-03-09 21:19:18@holyz 私も航空写真でも見ないとと思ってましたが、こんな様子なのですね。 別の方で、当時埋立地は全て国有地で、何らかの経緯で外務省管轄の敷地が存在し、今もその名残の設備があるのではないか、というような話を頂きました。 何の土地に何の箱があったのかまで探らないと沼から出なそうです。
2023-03-10 08:18:21ここで、通りすがりの有識者から有力な情報が。
@kanto_ce かつて、この辺りに「国際救援センター」という外務省所管の施設があったので、その名残りかと思われます。 rhq.gr.jp/%E5%9B%BD%E9%9…
2023-03-09 20:58:40国際救援センター閉所式 | 公益財団法人 アジア福祉教育財団 難民事業本部
https://www.rhq.gr.jp/国際救援センター閉所式/
有識者情報その2。
@kanto_ce @nagaedasan 水色で囲ったところがセンターで、当該踏切は赤い点の所でかなり離れているので違和感を感じたけれど、 配管接続の都合なのか、対象が増えることを考えて敷地は大きく取られてたのかだったのでしょうかね pic.twitter.com/UZUbv9veV4
2023-03-10 07:51:09@shiguretont @nagaedasan ありがとうございます。 こんな大きい敷地と建物なんですか?凄いです。。 ルートは、下水管路であれば敷地内と公道下を通すでしょうから、踏切脇まで延ばすのは腑に落ちます。貨物線とヤードの中から都道316号に抜けるならここが最短のはずですんで。
2023-03-10 08:26:53@shiguretont @nagaedasan あぁ、すいません違いますね。その北の緑点も踏切があるんですよね。 下水ポンプ場が南にあるので、当時の下水配管の整備から南で出さないと接続できなかったとかあるかもしれないですね。
2023-03-10 08:33:33この国際救援センター、比較的短期で閉めているので不思議に思ったところ、背景がナム戦の波及で国外脱出を行ったインドシナ難民を受け入れるものだったようです。 kotobank.jp/word/%E9%9B%A3…
2023-03-10 08:39:46@kanto_ce @shiguretont @nagaedasan すごい! インドシナ難民の保護施設で間違いなさそうですねこれ。
2023-03-10 12:12:48@kanto_ce @nagaedasan その北の緑点位置にある踏切の名称は救済センター踏切ですね hbc.blog.jp/TokaidoLine_7k…
2023-03-10 12:18:58救援センターの名称は踏切名として残存している事も判明。
[JR東海道線(大汐線)]救援センター踏切(7k555m)
北海道踏切調査室(HBC)
https://hbc.blog.jp/TokaidoLine_7k555.html
@lm700j @AUE_OEDA @shiguretont @nagaedasan 皆さんのお陰で謎が解けたようです。 ここは丁度羽田アクセス新線の留置線となる予定らしく、只今工事中でした。 鉄道貨物用地→鉄道貨物衰退→戦争の難民収容施設→空地→空港アクセス新線というとんでもない歴史のドラマを見させていただいて、大変感動しています!! pic.twitter.com/9VagX1q1cL
2023-03-10 12:23:36思うのは、当時戦争が発生してない国でもこういう施設を大々的に構築した歴史があるんだから、某国で戦争が発生し~なんてなったら近隣国はこういうアフターの部分でも無関与じゃいられないと改めて思いますよね。
2023-03-10 08:42:38@shiguretont ちょっと怖い話にはなりますが、ベトナム戦争時代にもそういうのがあったのだと思い、今の何やら不安が強い時勢と照らしあわせて思った次第です。
2023-03-10 12:32:13