昨日のレクチャで、塚本さんに対して途中で野次飛ばしてた人が居た。もちろん宮下公園の件で。パネルディスカッション後レクチャーホールから出ると、これを(画像参照)配ってる人が居た。書いてある内容は正統性は無いものの、結構衝撃的。 http://t.co/1bVxaDh
2011-11-11 19:36:30@kcnkzw これはすごいですね。以前ケンプラッツか何かの記事で塚本さんのコメントも見ましたが。。。。
2011-11-11 19:39:41@kcnkzw 最近建築側からの視点に慣れすぎてたんだなと、目が覚めました。議論が起こることは良いことだと思う一方、新建築で塚本さんが「新しい公共」について書かれていることが必ずしも公共に受け入れられるものではない、ということは理解しておかなくちゃいけないかもしれません。
2011-11-11 21:06:09@kcnkzw これなかなかすごいね。しかしある意味彼らがよく言う「社会に開く」って事を本気でやり出したらこういうことにも対峙して行かなきゃいけないってことだよね。
2011-11-11 19:40:56@liquidskydive そうですね。反対者の主張の内容は賛同できない部分もありますが、反対者が出てくる事自体健康ですし、もしかしたらアトリエワンは初めて日本で、本当の意味での公共/社会に向き合った建築家かもしれません。
2011-11-11 20:50:55@mNhTfK ヤジを飛ばしてる程度は予想可能でしたけど、これに書いてある内容は自分にとってカナリの衝撃ですね。 抽象的な理論どうこうじゃなくて、こういうレベルで直に”闘う”建築家って居ても良いのかなあって思います。
2011-11-12 17:41:16@kcnkzw 安藤忠雄はその像に近い気がしますが…確かに有名建築家にいても良さそうですね。 私見ですが、闘うというよりは多分 責任 をどこまで取るのかって問題だと思うのです。建築家が。そしてどのレベルで一般に認可されるのか、と。
2011-11-12 17:59:44@mNhTfK 確かに闘うはよくない表現かもしれませんね。(そして闘うっていうと=安藤さんの話題になってしまいがち) その責任というのは例えばどういうことでしょうかね?(別件で責任って言葉つかっててただいま頭が少々混乱しております…)
2011-11-12 18:16:27不祥事の会社の役員だったら辞職する、芸能人だったら謹慎、ヤクザだったら指切れ!とか、そういう「責任を取る」とは違うのだろうけど、ではどういうことか…。
2011-11-12 18:19:41@kcnkzw 御指摘通り、闘う=安藤忠雄は短絡でした。思考停止とも言えます。 責任に関してですが、建築においては場所とそれに付随する状況に対してケジメをつける事だと僕は考えます。(元々ある場所に)新しく作るとは、今ある場面を壊して代わりに何かを挿入するという行為です。→
2011-11-12 20:45:49@kcnkzw 建築は作る行為だと言われますが、当然その為には壊すことに加担しています。つまり、馴染みあるものを暴力的に奪うという事です。 社会的に責任を取るとなると辞任などが想像されますが、それは責任の取り方の一つでしかありません。→
2011-11-12 20:46:07@kcnkzw 僕が意図した責任という発言は、要するに新しさとそこから生まれる将来のビジョンを真摯に説明するだけでなく、今の姿を壊す事に対してもっと真剣に向き合っうことが大事ではないか、という気持ちによるものです。→
2011-11-12 20:46:28@kcnkzw kcnkzwさんの闘いという言葉に上記の様な事を思い浮かべ、それを表す端的な言葉を探った結果、責任という語に行き当たりました。 御答えになりましたでしょうか?長々と失礼致しました。
2011-11-12 20:46:52リアリティなる抽象言語に戸惑いを覚えて一年ほど経った。そして、納得や説得に置き換えれば理解しやすいのだと漸く気付いた。これなら対象を一度自分に置き換えと考えられるから、指標としても使える
2011-11-12 23:56:48例の塚本さんの問題、中々見方が難しい。建築クラスタサイドとしては、その批判は正統性に欠けるしそんなに悪いものかとなる。けど、はたからみればこれだから建築家はエゴばかり、みたいな光景なのかな。 政治家が意見を曲げない、ような。
2011-11-12 23:59:17