出発前のひととき
甲州道中スタート
牧原まではバスで移動
特急列車と各駅停車とバスを乗り継いで、今も泊まれるかは不明な旅館の前からスタートします pic.twitter.com/AhyjRyrYs3
2023-08-06 18:12:14昨日のふりかえり、続き まずは、青空の下を流れる川を渡ります。 川の水は少なめに見えました。 pic.twitter.com/ooMMGSSXe0
2023-08-07 21:15:15古くから水害に悩まされた(急峻な山々に囲まれた川沿いの小さな盆地、豪雨のたびに山から激流が一気に流れ落ちて洪水を起こしそうな地形にも思えました)川沿いの地、治水にまつわる碑もあります。 (川沿いの奥に見えたドーム、東家とかトイレではなく、治水のオブジェらしいようです) pic.twitter.com/rBzNCRR8Jf
2023-08-07 21:28:43かつては、戦国の合戦で重い傷を受けた将が、要害の地(川と支流に挟まれた高台)の狼煙台を任せられたという話の伝わる地、今は田んぼやネギ畑の広がるのどかな街道沿いでした。 (この横のラーメン屋さんは、今も続いているようでしたが、この日曜日は、大掛かりな内部清掃作業をしていました) pic.twitter.com/oKWkQHMM9H
2023-08-07 21:44:06右にはそびえ立つ七里岩を眺めつつ進みます。 「食事処 舞鶴」は、見た目の感じですが閉業されているようにも見えました(詳細不明)。 pic.twitter.com/chhpqd5X6v
2023-08-07 21:46:45ここは、前の宿場から次の宿場まで16kmほど離れている、宿場の距離がかなり離れている区間の途中、かつての「屋号」らしき表札もあるので、「間の宿」の役割の場所だったのかもしれません。 pic.twitter.com/PZ5zreoTE6
2023-08-07 22:54:51ハッピードリンクに見送られて、川沿いから「台ヶ原」の高台へと向かう登坂車線の麓に出ます。 この看板、ここに登坂車線がつくられた頃は、まだ登坂車線が少なく画期的なものだった頃の名残りかな?? pic.twitter.com/NJX1Y9WDg2
2023-08-08 06:35:43ここから草道の旧道区間へ入ります(国道は、先程の登坂車線で高台を切り通して登り、旧道は川沿いから地形に沿って高台に登る感じかな?) 「古道入口」の台座が、古くからの道標か常夜灯が何かの台座だったとは、今回初めて気づきました。 pic.twitter.com/4Bq8ZoUvIF
2023-08-08 06:39:18「無銘の巨塔」 江戸時代から明治時代にかけて、十年ほどかけて、この付近の寺にゆかりのある人々が山から巨石を運んで題目を刻もうとしたという由来。 近くの橋の橋脚にするという供出の話を断るも、題目などが記されることなく「無銘の巨塔」として今に至るそうです。 pic.twitter.com/0wAyevheke
2023-08-08 07:34:25「無銘の巨塔」の少し先から数百メートルほど、写真を撮る余裕もないほどに草が生い茂り(道筋は目ではっきり分かり、倒木、ぬかるみ等もなく、草も膝くらいで歩くには歩ける)、以前に歩いたときと印象が違っていました(数年前の真夏に歩いたときは、歩きやすい草道でした) pic.twitter.com/rp8jm6KAlr
2023-08-08 07:41:48深読みかもしれませんが、無銘の巨塔の少し先で、道の右側に黒パネルが並べられてフェンスで閉ざされた箇所があり、そのフェンス沿い道が草ぼうぼう、フェンスから離れて川や畑が見えてくるあたりから草が刈られて歩きやすい道に戻りました。 旧道が黒パネルの敷地に取り込まれないのは良かったとして
2023-08-08 07:46:08