『最強の彼女』 タフ語録ヒロインSS
- mocharn3rd
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渡 哲(わたり あきら)は学園のマドンナだ。 マドンナというのは言葉が古い気がする。文武両道を体現したような成績、そして美貌は、男女問わずこの学校のあこがれとなっている。黒のセーラー服に、艶のある青灰色のロングヘアが特徴だった。
2023-08-28 21:34:59恋人の一人や二人いておかしくないのか? と思うだろうが、確定的に明らかな理由で、誰も交際していない。 「しゃあっ」 体育の授業のとき、よく、彼女の鋭い声が聞こえる。はっきりいって怖い。
2023-08-28 21:35:30恵まれた身体能力から放たれる動きは、いろんな部活の女子たち・男子すらも追いつかない。噂によると、彼女がこの高校で初めて身体測定をしたとき、高跳び、幅跳び、短距離長距離走もすべて記録を塗り替えられたそうだ。 「モンスターの脚だよあれは」とは、誰がいったのだったか。
2023-08-28 21:35:38「でも、なんであんな人がこんな中流の学校に……」 わたし、猿飼沙也(さるかい さや)は受験勉強をがんばって、ようやく都内の中の上くらいの高校に入ったのだった。彼女だったら、推薦どころか、いろんな学校から引き抜きがあっておかしうないのに。
2023-08-28 21:35:49購買に行くと、好物のたまごサンドが残っていた。男子がカツやハム系のサンドイッチを好んで買う中、地味目な好物が残っているというのは、わたしにとっては嬉しい話だ。 たまごサンドに手をのばすと、他の女子と手が触れた。 「あっすみません……えっ」
2023-08-28 21:36:00その女子こそ、渡だった。 「えっ」 異口同音とはこのことで、渡さんが口を開く前にまくしたてた。 「怒らないで下さいね! たまごサンドなんて誰もとらないと思ってたので……!」 「落ち着いて」 顔が近い。顔が良い。
2023-08-28 21:36:10私には致命的な弱点がある。あがり症・緊張しがちなのだ。 「ゆっくり呼吸をする。鼻から吸って口から出す。息を吸う時に胸を膨らまして、吐くときにお腹をふくらませる。逆腹式呼吸よ」 「う、うう……」 購買のおばちゃんが心配してくる。
2023-08-28 21:36:24「大丈夫ですよ。猿飼さんは私が保健室に連れて行きますから。こう見えても私は慎重派なんです」 「いやそこまでしてもらう必要なんて」 「安静にしてるほうが回復が早くて済むよ」
2023-08-28 21:36:34渡さんがわたしを背負う。ちゃり、と音がした。たまごサンドほか色々なものを買って、袋に入れていたのだ。 わたしを背負いながらその動作……女子を超えた女子、という文面がわたしの脳裏に走った。
2023-08-28 21:36:42保健室のベッドで、わたしは渡さんと昼食を食べていた。 菓子パン、おにぎり、そしてたまごサンド。たまごサンドは結局、ふたりで分けることとなった。 「ククク……たまごはタンパク質・ビタミンが備わった完全食」
2023-08-28 21:36:52食物繊維とビタミンCは足りなくない? と思ったけれど、そこはつっこまずにいた。そう思っていた矢先に、渡さんは床に置いていたスポルティングのバッグから、さらに何かを取り出した。 「炭水化物と食物繊維・ビタミンCは足りないから、補う必要があるけどね」
2023-08-28 21:37:02プロテイン・シェイカー、水筒をさらに取り出すと、渡さんはシェイカーに水を入れて振りだした。 「プロテイン・マルトデキストリン・イヌリン・クエン酸・ビタミンCサプリメント・ミネラルサプリメント。見た目はちょっと悪いけど、食事の補助にはいいのよ」
2023-08-28 21:37:26変人だ。いや、体育会系の子ならこういうことをやってるみたいなことを聞いたことはあるけれど、渡さんは別にどこに所属してるわけでもない。 「……でも、猿飼さんが無事で良かったわ」 「えっ」 わたしは彼女に名乗ったっけか。
2023-08-28 21:37:37「渡さん、わたしたち、どこかで前に会ったことが?」 「あっ」 このとき、渡さんは、意外な表情を見せた。 「渡さんは有名人だけど、なんで私なんかのことを知って」
2023-08-28 21:37:47「気にしなくていいわよ。傲岸不遜な女がおせっかいを焼いてると思ってもらえばいい」 はぐらかされた。 そして引っ込み思案な私は、それ以上、渡さんに何も言えなかったのだ。
2023-08-28 21:37:56最近読んだ本によると、何かを急に多く見かけるようになるというのは不正確で、脳が興味を持ったものに、検索システムのクローラーのように自動で探す機能があるのだそうだ。
2023-08-28 21:38:08私の視界に渡さんが見えることが多くなった。 気づいたときには渡さんで脳内が占められているッ。 気づきたくなかった。 これは恋の炎だ。助けて欲しい。
2023-08-28 21:38:13中庭で哲さんと一緒に昼食を食べるのが、わたしたちの習慣になった。 私が、誘った。 「ふふ、模範的女生徒なのはお昼休みまで、そこからはご飯を堪能する女子になるの」 ヒュンヒュンと哲さんは弁当箱袋を振った。
2023-08-28 21:38:32「あっ」 お弁当箱の中身が心配になったけれど、哲さんはいたずらっぽく笑った。ベンチに座って哲さんが開いた三段筒型の弁当箱には、野菜スープ、白身が8に対して黄身が2くらいの卵のかたまり、ゆでたであろうブロッコリーが詰められていた。
2023-08-28 21:38:46それから、いつも通りの、プロテインシェイカーだった。 「よくそんなに食べられるね哲さん」 「おいしいから食べるんじゃない、生きるために食べるのよ」 食べ物にとても気を遣っている、というのが、この1か月程いっしょに食べて来た者としての感想だった。
2023-08-28 21:39:42それは、学校1の身体能力を発揮するわけだと納得した。 本当に、ごはんを堪能しているのだろうか? 「哲さん。よければだけど、近いうちに鍋しない?」 「いいわね、たんぱく質と食物繊維を取るならやっぱり鍋」 ニコニコと笑顔を返してくる。 そういうことになった。
2023-08-28 21:39:55創作物だと屋上で学生がたむろする、みたいな話があるが、現実にはそうもいかないことが多い。しかし、哲さんは文武両道と職員室における人望が高かったため、屋上使用許可が出た。 「この結果に一番驚いているのは私なんだよね」 哲さん自身が、確率の低い賭けだと思っていたそうだ。
2023-08-28 21:40:08そういうわけで、秋の夜、望遠鏡を用意して、学校の屋上で……鍋をした。 「えっ」 わたしは星を見る話と鍋をする話は別だと思っていたため、哲さんの星見の話にホイホイついていったのだった。
2023-08-28 21:40:20鍋も具材も用意していない。私が用意していたのは、望遠鏡だけだ。 夜空、風景、私は綺麗なものを見るのが好きだった。お昼休みに中庭にいるのも、味気ない教室で食べるよりも中庭で食べる方が、よほどおいしく感じるからだ。
2023-08-28 21:40:46