佐藤正美Tweet_20111201_15

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佐藤正美 @satou_masami

テクノロジーが高度になればなるほど「論理」は不可欠なものとなる。「構造」を無矛盾にするものはすべて「論理」によって得られる。妥当な(無矛盾な)構造とは「論理」の産物である。我流(多義・曖昧・強調・合成・解体などの虚偽)から区別される「構造」の特徴は何か──「論理」である。

2011-12-01 01:06:11
佐藤正美 @satou_masami

「論理」は現実的事態を形式化するが変質することはけっしてない。「論理」は現実的事態を形式化する規約である。抽象的な・数少ない規約でも現実的事態を形式化しようと思えば豊富な表現ができる! 「論理」は「形式」の文法である。「論理」は思考に形を与える最上のツールである。

2011-12-02 01:08:59
佐藤正美 @satou_masami

形式的構造は、いかなる構成でも、「論理」をもってそれをおこなわなければならない。「論理」を正確に使うこと、カテゴリー(「概念」)を適宜に切りあげること。私は「論理」を好む。形式的構造は、私を夢中にさせる。だから、私は何時間でも、腰を下ろし、モデルを眺めていることができる。

2011-12-03 02:05:39
佐藤正美 @satou_masami

「論理」は、つねに思い込みに対する最大の治療薬である。学校の教育は、私に「論理」を教えてくれたが、「論理」を愛することを教えてくれなかった。文系に進んだことを私は後悔していないが、若い頃、数学をちゃんと学んでいれば、仕事のしかたは、もっとべつ様になっていたと思う。

2011-12-04 10:21:41
佐藤正美 @satou_masami

「論理」の面目は確実な「形式」であり、「論理」では個性は無にひとしい。論理力を養うに一番大切なことは、思い切って「規則に従う」ということである。論理規則に遵う、精神をそのことに向ける。生まれつき「論理」の才などあるものではない。なぜなら、「論理」は合意された規則なのだから。

2011-12-05 00:11:57
佐藤正美 @satou_masami

あらかじめパターンを嵌めるとか、「概念」について熟考するとかというのは、たいていの場合、「論理」を逃れる口実である。ことにその上、事業は「論理」で分析できるものではないと云うときは猶そうである。しかし、事業の中で伝達されている「情報」は文字列として「論理」の対象にできる。

2011-12-06 02:10:46
佐藤正美 @satou_masami

モデルにとって必要なのは、個々の(項の)「概念」ではなくて「構成」法である。「論理」に依って構成することによってはじめて、現実的事態が(通有的な)形となる。「論理」で構成しないモデルは「形式」(公理系)を持たない。「形式」を持たない命題は、恒真性・証明可能性を問えない。

2011-12-07 07:56:10
佐藤正美 @satou_masami

「論理」の規約は「概念」の飛躍を抑止する。それで「形式」が確かになる。「論理」が「構成」に入ってくると、気儘はすぐに逃げだしてゆく。だが、「論理」が眠りこむと、気儘がのさばる。「構成」を与えなくても「概念」は浮かんでくる。だが、「構成」を与えれば、それは数倍も鮮やかになる。

2011-12-08 01:37:25
佐藤正美 @satou_masami

モデル(形式的構造)を作ることは、私の思考にとっては自由になることではなくて、「構造」の完全性(無矛盾性・健全性)に対して峻烈な責務を負うことである。

2011-12-09 00:53:33
佐藤正美 @satou_masami

私はモデルの規則を作るために努力して来た。それが私の職業であり、仕事であった。モデルの規則を作るのも、家具を拵えるのと同じように ひとつの職業である。しかし、じぶんの職業を吹聴するほど惨めな事はない。私がセミナー・講演のあとで強烈な虚無感を覚えるのはそれが原因かもしれない。

2011-12-10 01:04:37
佐藤正美 @satou_masami

アラン曰く「いかなる職業でもじぶんが支配する限り愉快であり、服従する限り不愉快である。電車の運転手はバスの運転手ほど幸福ではない」。なるほど、もしそうであれば、SE がモデル理論に従うのは面白くないのかもしれない。しかし、愉快なポンチ絵を描かれても迷惑だ。

2011-12-11 03:38:42
佐藤正美 @satou_masami

私は「概念」のことでザッと言うのが、いちばん嫌いだ。

2011-12-12 00:38:35
佐藤正美 @satou_masami

モデルという語は、「論理」を使っていよいよ正確性が高まってゆく意識的な構成という意味であるならば、それは正しい用語である。しかし、今日、モデルという語がウサン臭く響くのは、SE がモデルを形式的構成として考える事を捨てて了ったからである。モデルを自作画に堕としたからである。

2011-12-13 03:56:16
佐藤正美 @satou_masami

頭が良いのにモデル理論を知らない SE が、たくさんいる。しかも、かれらはモデルを作りたくてたまらないのだ。いったい、これは どういうことなのか? 答えは簡単である──かれらは、理論を どうしても学ぶという意欲が足りないのである。悧巧であるが故に理論を軽視しているのだ。

2011-12-13 03:57:17
佐藤正美 @satou_masami

モデルは概念地図であるという。しかし、一銭の値打ちもない夢想的概念図もあれば、無矛盾な形式を持っていても「現実的事態の写像」になっていない概念地図もある。概念地図にも色々な概念地図があるのだ(There are models and models)。

2011-12-13 03:58:13
佐藤正美 @satou_masami

事業はモデルが相手ではない。われわれの相手は事業である。

2011-12-14 00:38:38
佐藤正美 @satou_masami

多くの SE は「形式」を構成する前に、正確な「意味」を知ろうとするから、だからこそ かれらは「意味」を把握することができないのだ。実に、「初めから正確な意味を知る」という考えをとり除き、「形式」を先ず作ることがモデルの半ばを構成するといってもさしつかえない。

2011-12-15 02:41:17