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まるで忍の里『目の前にあるが辿り着けない集落』探訪記(スレ主によるPDF配布あり)

反応は無選別なので自己判断で適当に閲覧を切り上げてください。「こういう話が読めるからゾンビだらけになってもTwitterはやめられない」<同感なんだなぁ。
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本スレ

R774@まとめ屋 @kendou774

スレッドにします。 『目の前にあるが辿り着けない集落』会津から越後へ流れる阿賀野川。この大河の対岸、僅か100m先に集落がある。地図には集落への渡船が描かれ、徒歩道も通じている。しかし、集落に辿り着けないのだ。古くから続く祭祀が存在し、四軒の暮らしがあった『仙石集落』の今を記録する。 pic.twitter.com/lxkX9mNSZG

2024-04-24 21:00:31
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R774@まとめ屋 @kendou774

4年前、地理院地図上で阿賀野川を眺めていたとき、『仙石』と描かれた集落が目に留まった。その集落に至る車道はなく、渡船と徒歩道が描かれているが、最新の航空写真に渡船の姿は見えず、ストリートビューに写る徒歩道は施錠ゲートで塞がれている。まさに『目の前にあるが辿り着けない集落』なのだ。 pic.twitter.com/GMPuHRKFrn

2024-04-24 21:01:52
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R774@まとめ屋 @kendou774

※お断り スレッド中に示す2022年時点の地理院地図には渡船記号が描かれていますが、最新の地理院地図では渡船記号が消去されています。当スレッドは、2022年時点の地理院地図に基づいた内容となっています。 pic.twitter.com/K2JQjqJcBq

2024-04-24 21:02:57
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R774@まとめ屋 @kendou774

仙石(せんごく)集落が属する鹿瀬町(現・阿賀町)は、新潟県東部に位置し、一部は福島県と接する。町の東西を阿賀野川が流れ、面積の大部分を山間部が占める静かな町だが、かつては新潟電工や草倉銅山など、工業の盛んな町だった。この町の福島県境からほど近い阿賀野川蛇行部に仙石がある。 pic.twitter.com/9Arx6wUCf2

2024-04-24 21:03:53
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R774@まとめ屋 @kendou774

近くの国道459号を通るたびに、仙石集落の存在が気になっていた。阿賀野川対岸から仙石方向を眺めても木々に阻まれて集落は見えず、仙石へ向かう道は施錠ゲートで塞がれて近づくこともできない。勿論、インターネット上に情報は無い。ゆえに半ば諦めていた。やはり、仙石へ向かうことは無理なのか。 pic.twitter.com/J8DUyM50i6

2024-04-24 21:04:55
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R774@まとめ屋 @kendou774

それでも機会はやって来た。R.3年初夏、日出谷駅近くにあるMさん宅を訪ねた。町の教育委員会にお力添えいただき、仙石集落出身のMさんにお話を伺うことになったのだ。Mさん宅では、Mさんご夫妻とMさんのお母さんに、仙石にまつわる様々なお話を伺った。(伺ったお話は後ツイートに纏めます) pic.twitter.com/Ay9ZHe0sIK

2024-04-24 21:05:50
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R774@まとめ屋 @kendou774

『陸の孤島』 更に、Mさんはお話だけでなく、仙石集落に連れて行ってくださった。まずは各々の車で施錠ゲートへ向かう。阿賀野川を菱潟大橋で渡る。この地域はS.50年代半ばに橋が架かるまで、交通手段といえば徒歩道か渡船、磐越西線だけであり、特に菱潟地区はS.55年まで渡船しかない陸の孤島だった。 pic.twitter.com/Dyn43dbu2q

2024-04-24 21:06:59
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R774@まとめ屋 @kendou774

『開かれた施錠ゲート』 施錠ゲートから先は、地権者、電力関係者以外、立ち入ることができない。道が荒れているということで、Mさんの車に同乗させていただいた。車は地理院地図に描かれていない道を行く。この道は鹿瀬発電所の更新時に開設された道で、地理院地図に描かれた道は廃道になっている。 pic.twitter.com/pCNIJHgltT

2024-04-24 21:08:05
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R774@まとめ屋 @kendou774

『人焼き沢』 小さな橋で車が止まった。橋の銘板に『下の沢』とある。この沢は『人焼き沢』とも称され、阿賀野川に水死体が流れてきたとき、沢の上流で死体を焼いた言い伝えがあるという。今でこそ悠々と流れる阿賀野川だが、ダムのなかった頃は流れが早く、川で遭難する人も少なからずいたのだろう。 pic.twitter.com/KpJ6WWVHYM

2024-04-24 21:09:05
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R774@まとめ屋 @kendou774

道の舗装は豊実ダムで途切れ、その先は未舗装に変わった。地理院地図上では徒歩道表記だが、実際には車道がある。もともと仙石集落への陸路は徒歩道しかなかった。その後、軽トラ幅程度の車道ができ、更に今の道幅まで広げられた。Mさんに当時のお話を伺いながら走ること約3kmで家屋が見えてきた。 pic.twitter.com/Khv91QBlMt

2024-04-24 21:10:10
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R774@まとめ屋 @kendou774

『無住の仙石集落』 航空写真の通りに、集落内には数軒の家屋が立っていた。Mさんによれば、周囲には田圃や畑などの耕作地が広がっていたそうだが、現在は植林地となり、集落内は薄暗い。家屋のうち一軒は、Mさんが元自宅の一部を残していたもので、まだ綺麗な状態だ。庭には美しい花が咲いている。 pic.twitter.com/FIK9xbtoik

2024-04-24 21:11:07
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R774@まとめ屋 @kendou774

仙石集落の軒数は四軒、多い時で五軒あったが、交通の不便さからS.30年代より軒数が減り始め、S.45年に離村した。集落の始まりは、会津風土記に『仙石は菱潟村の端村』とあるため、菱潟からの分家・或いは移住と考えられる。また、文禄3年には歴史上に登場しているため、仙石は400年以上の歴史を持つ。 pic.twitter.com/wwnfRIqGO3

2024-04-24 21:12:24
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R774@まとめ屋 @kendou774

仙石集落が離村するS.45年まで、仙石に車道が通じることはなく、主な交通手段は対岸への渡船だった。よって、渡船は生活の一部であり、仙石の子供たちは小さい頃から操船できた。その渡船場へ向かってみる。渡船場に至る道はかすかに残っているが、渡船場が見当たらない。渡船場はどこに消えたのか。 pic.twitter.com/cIeK15Q09w

2024-04-24 21:13:26
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R774@まとめ屋 @kendou774

H.23年の洪水で川の地形が変わり、渡船場が消えてしまったのだ。渡船自体も洪水以前から無くなっていた。結局、地理院地図上の渡船記号だけが残っていたのだ。集落内を一通り回った後、再びMさんの車に同乗させていただいて帰路に就いた。Mさんは仙石の元自宅を取り壊すかもしれないと仰っていた。 pic.twitter.com/vwimGDtWFu

2024-04-24 21:14:25
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R774@まとめ屋 @kendou774

『ショウキサマ』 鹿瀬町が属する東蒲原郡で行われる祭祀として、ショウキサマ祭祀が知られている。この祭祀は一種の藁人形信仰であり、集落を悪疫や災難から守るために、ショウキサマと呼ばれる大きな藁人形を作り、集落入口に飾るものである。ショウキサマ祭祀は仙石集落でも行われていた。 pic.twitter.com/anNDIRuUl8

2024-04-24 21:15:30
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R774@まとめ屋 @kendou774

仙石集落では、藁で男女二体のショウキサマを作り、集落入口の杉の木と柿の木にショウキサマを縛った。毎年行われていたショウキサマ祭祀だが、S.45年の離村以降、全く行われていない。ショウキサマを縛った柿の木も枯れて残っていない。(仙石のショウキサマ祭祀については、後ツイートに纏めます) pic.twitter.com/s0YtwpYHP1

2024-04-24 21:16:20
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R774@まとめ屋 @kendou774

1ヶ月後、前回訪問できなかった神社跡を確認するため、再び仙石集落にやって来た。しかし、前回とは様子が異なり、集落内が騒々しい。それもそのはず、重機がMさんの元自宅を取り壊していた。美しく咲いていた花も消えている。先に聞いていたのだが、Mさんは元自宅を取り壊すことに決めたという。 pic.twitter.com/wG0zxlNPmO

2024-04-24 21:17:37
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R774@まとめ屋 @kendou774

『石動山神社』 神社跡までの道筋は、Mさんが草払いしてくださっていた。道筋を登った先に石碑と祠が整然と並ぶ。人知れず消えていく神社が少なくない中で、今も石碑と祠が整然と並ぶ様は、仙石で暮らした人々の『神々に対する感謝の気持ちの表れ』だろう。しばし手を合わせ、仙石を後にした。 pic.twitter.com/8p0MnkY1IU

2024-04-24 21:18:58
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R774@まとめ屋 @kendou774

Mさんご家族から伺った内容と、仙石集落のショウキサマに関する情報について、仙石の補足情報とともにリンク先に纏めます。(Googleドライブ:PDFファイル13.4M) drive.google.com/file/d/11apcTx…

2024-04-24 21:19:56
R774@まとめ屋 @kendou774

仙石集落から大河を挟んで100m先には車道があり、鉄道も通る。この僅かな距離により利便性から取り残された仙石集落は、S.45年に離村を決断した。離村から半世紀が経ち、集落の面影は消えつつある。それでも、Mさんご家族に仙石のお話しを伺ったとき、皆さんは笑顔になって当時を思い出されていた。 pic.twitter.com/CmfPNBPhdf

2024-04-24 21:21:23
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R774@まとめ屋 @kendou774

仙石で暮らしたMさんご家族にとって、集落の姿は変わっても、故郷であることに変わりはないのだ。『目の前にあるが辿り着けない集落』その集落にあった人々の暮らしは途絶えていた。しかし、集落で暮らした人々の故郷への想い、そして故郷を守る神々への感謝の気持ちは、今も途絶えてはいなかった。 pic.twitter.com/zexH77H7eX

2024-04-24 21:22:34
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R774@まとめ屋 @kendou774

以上で仙石集落についてのツイートは終わりです。仙石訪問に際し、大変お世話になりましたMさんご家族、そして問い合わせさせていただいた鹿瀬町教育委員会様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。 pic.twitter.com/YvIjrdBsYd

2024-04-24 21:23:25
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リンク Google Docs 仙石.pdf
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