水音がする。 鼓膜を鈍く叩くその音がバーナビーの目を覚まさせた。首を巡らすと、隣にあるはずの体温がない。水音は階下から、止むことなく続いている。
2012-03-11 23:00:08音を立てずにベッドを降りて、吸い寄せられるように歩く。裸足のせいで足の裏が冷たい。だが靴を取りに戻ることよりも、滝のように続く水音の方が気になった。
2012-03-11 23:00:39ぼうっと弱い光が洗面所を照らしている。そこに小さな背中があった。いや、小さくはないはずだ。彼はバーナビーと同じぐらいの上背があるのだから。なのに何故だろう、その後姿があまりにも頼りなく、まるで子供のように見えたのは。
2012-03-11 23:01:01彼の両の二の腕が小刻みに動いている。手を洗っているのだ。 「・・・バニー・・・?」 彼が少しばかり振り返った。 「何をしているんですか」 ありきたりな言葉が口をついて出る。 「手を洗ってるんだ」
2012-03-11 23:01:37そう言って彼はまた、流水に両手をさらす。不思議に思ってバーナビーはすぐ傍まで近づいた。冷たい水にさらされ続けた両手は赤く、痛々しい。 「どこも汚れてませんよ」 バーナビーは言った。しかし彼はゆるく首を振って、念入りに手を洗い続ける。
2012-03-11 23:02:08その横顔は伸びてしまった髪に隠れてよく見えない。 「もう寝ましょう」 バーナビーは優しく誘う。しかし彼は首を縦には振らない。なぜかそれ以上言葉を重ねることを憚られて、唇が戸惑う。二人を別つ、沈黙と水音。 「・・・落ちないんだ」
2012-03-11 23:02:23破ったのは、小さな小さな声だった。 「え?」とバーナビーは問い返す。 「もう一度言ってください」 虎徹はようやく顔を上げた。 バーナビーの息が止まった。
2012-03-11 23:02:45彼は目尻の皺が分かるほどに微笑んでいた。否、微笑みの形を『造って』いた。頬を引き上げ、結んだ口唇を弦月のように曲げ、瞳を細め、笑っている形を作った。 「血が、落ちないんだ」
2012-03-11 23:03:05掠れた声がわざと明るい音を出す。 「誰の、血ですか」 問うたバーナビーは、しかし分かってもいた。今日の出動で、虎徹は被害者の子供をその腕に抱いた。ガス爆発の救助作業を行っている途中だった。
2012-03-11 23:03:36子供は生きていた。あと5分早かったら、きっともっと長い人生を生きられただろう。子供の血がワイルドタイガーの白いスーツを紅く塗り、彼の腕の中で小さな燈火はふつりと消えた。 「落ちないんだ・・・」
2012-03-11 23:04:01バーナビーは唇を噛みしめた。そしておもむろに手を伸ばし、レバーを捻って冷水から温水へと変える。 「バニー・・・」 物言いたげな声は無視した。虎徹を胸に抱え込むように抱き締めて、彼の両手を包み込む。一緒に白い湯気の出る水に浸り、そっと撫でた。
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