スケゴーさんの語るペトロヴィッチ広島の3-4-2-1が生まれるまで
ペトロヴィッチが監督に就任した2006年は3-1-4-2が主に採用されていた。スタメンは下田、森崎和、戸田、盛田、青山、駒野、柏木、森崎浩、服部、ウェズレイ、佐藤寿。
2012-03-16 18:43:432007年になると相手に研究されて守備が崩壊。ディフェンスに難のある森崎浩のいる左サイドを崩し、対人プレーの強さに欠ける森崎和のいるファーサイドにクロスを放り込むというパターンでズタボロにされた。
2012-03-16 18:53:57ペトロヴィッチは守備練習をまったくしない監督だったため、広島は対戦相手にSBへパスを散らされるだけで簡単に自陣に押し込まれてしまっていた。それゆえにビルドアップ能力を優先して起用した戸田、森崎和らCBのひ弱さという問題がもろに露呈してしまったのだ。
2012-03-16 18:56:45頼みの2トップもボロボロ。2006年は第1FWの佐藤寿の下で第2FWのウェズレイが縦横無尽に活躍して結果を残したのだが、ディフェンス崩壊のあおりで加齢で走れないウェイズレイに代わって佐藤寿が守備に奔走。それによりウェズレイが前線で孤立し、攻撃の歯車まで狂ってしまった。
2012-03-16 19:00:463-4-2-1にシステムを変更するなど修正を図るが見事に失敗して16位フィニッシュ。プレーオフ2ndレグ京都戦になってようやく最終ラインに高さのある槙野、ストヤノフ、盛田が起用されたが、無得点に終わり降格が決まった。
2012-03-16 19:05:473バックが槙野、ストヤノフ、盛田に固定されてた京都戦2ndレグから天皇杯準決勝までの4試合を1失点。それまでの苦しみは一体何だったのかと広島サポを大いに嘆かせた。というか飯なので離脱。
2012-03-16 19:13:54ウェズレイ、駒野を失ったものの圧倒的戦力で戦った2008年は当初3-4-1-2を採用していた。スタメンは木寺、森脇、ストヤノフ、槙野、リハンジェ、青山、森崎浩、服部、高萩、平繁、佐藤寿。
2012-03-16 19:35:15ゼロックス優勝の勢いに乗って格下を蹂躙して回るかと思われたが、シーズン序盤は対戦した全チームに主導権を奪わるという失態を見せた。
2012-03-16 19:37:38個の能力の差で無敗こそ維持していたものの、2007年と同様にSBへ散らされると自陣深くまで簡単に攻め込まれてしまう悪癖は一向に解消されておらず、相手にポゼッションを許していた。。
2012-03-16 19:39:43変則3バックは槙野いわく「監督ではなく自分たちで考えました」とのこと。槙野は地雷発言が少なくない選手だ。同インタビューで「去年まで対戦相手のスカウティングは一切してなかった」といったことまで暴露している。
2012-03-16 19:44:12ただ森崎和にいわせると選手考案ですらないらしい。最終ラインで攻撃参加したそうにしていた森脇と槙野へ森崎和が「俺がカバーするから攻めていいぞ」と声をかけたところ、2人同時に攻め上がってしまい、偶然2バック化してしまっただけなのうだそうだ。
2012-03-16 19:46:50広島の両サイドは攻撃時にウイングの位置まで上がる。3-1-4-2ならば3-3-4化するのだがこれが3-4-1-2だとなぜかトップ下の高萩まで前線へ突撃し3-2-5化していた。
2012-03-16 19:49:363-2-5だとボランチにボールが渡ったとき、もう片方のボランチへの横パス以外は全て中長距離の縦パスになってしまう。前線にパワーのある選手が久保しかおらず、引いて守りを固めるJ2相手に縦パスを放り込んでは跳ね返されていた。
2012-03-16 19:52:37第9節にいたっては2-1で勝利したものの当時最下位の熊本に終始ペースを奪われるという醜態を晒し、復帰直後の森崎和を激怒させていた。
2012-03-16 19:54:03それが第10節徳島戦では前半15分以降に森脇、槙野が前に出ることで3-4-2-1が2-3-5化し、サイド、中央どちらからでもショートパスを繋いで攻撃できるようになった。以後システムは3-4-2-1が定着した。
2012-03-16 19:58:15逆だった。第22節は横浜FM戦。第23節はFC東京戦。前者は佐藤寿へのロングボール頼みのリアクションサッカーで2-2。後者は前節の反省から無理にパスを繋いだところハイプレスにハマり0-5と大敗。また3-1-4-2に戻す結果となった。
2012-03-16 20:09:18しかし5バックが相手だと余る選手がおらず、サイドへのロングパスが通らなくなり、なかなかクロスまで持ち込めないという問題があった。
2012-03-16 20:38:36