《「絆」は他人のためならず。》

汚染ガレキ受け入れ賛成は、被災地の人たちの為ではなく、自分たちが被災したときのための保険だ、という考え方を聞いて、「そういう賛成論もあるのか」と驚いてまとめました。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「絆」は他人のためならず。という考えが、がれきの受け入れに関してあることを知った。放射性物質を含むかもしれないがれきを受け入れるのは、最終的には現在の被災地のためではなく、自分達のためなのだ、という考えだ。連続ツイートする。

2012-03-30 19:44:59
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

ちなみに元のことわざである「情けは人のためならず」の意味は「誰かに温情をかけるのは、相手のためになるだけでなく、最終的に自分に利益が来るから(温情は積極的に抱えるべき)だ」ということ。逆に「温情をかけるのは相手のためにならないから温情をかけるな」という解釈をする人がいるが間違い。

2012-03-30 19:52:43
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「絆」とか「分かち合い」とか言って、放射性物質が入っているかもしれないガレキを受け入れる遠隔地の人たちは、それが自分達の番が来たときのための保険だから受け入れるのだ、という意見。

2012-03-30 19:55:38
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

今後、日本ではどこの原発でどんな津波を伴ってどんな事故が起きるか、わからない状態になっている、という現状認識がある。その際に、原発立地自治体からある程度距離が離れている、今回の宮城県や岩手県のような場所に自分達が住んでいる場合、どうなるのかを想像する。

2012-03-30 19:58:30
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

今回宮城県や岩手県からガレキの受入を断って、今後同じ立場に自分達が立ったら、他の地域にガレキの受入を断られるのではないか?見捨てられるのではないか?という不安がある。今回受け入れておけば、自分達に何かあったときに、他の人に助けてもらえるのではないか、という期待。

2012-03-30 20:01:17
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

つまり、今後自分達のそばの原発が大事故を起こしたときに助けてもらうためには、今回多少の放射性物質が含まれているとしても、ガレキを受け入れておこう、という意見がある。ガレキ受け入れは、巡り巡って、自分達が助けてもらうためだ、というのだ。

2012-03-30 20:04:10
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

これが日本が誇る「絆」や「助け合い」や「分かち合い」の(少なくとも一部の)正体だ。いざと言うときには、他の地域の人が自分達を見捨てるのではないかという強迫観念のようなもの。裏を返せば、自分達のためにならないのならば相手を見捨てても良い、という意識。

2012-03-30 20:07:00
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

なるほど、「痛みを分かち合う」はずなのに、福島県のガレキを受け入れよう、という声が大きくならない理由はそういうことか、と合点がいった部分がある。「誠意の形」や「分かち合いの構え」を見せることが大事で、だから許容範囲は宮城県と岩手県のガレキなのだ。

2012-03-30 20:09:59
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

その論理に従えば、必要なのは「形」であり「姿勢」なので、実際に被災者の役に立つかどうかは重要なことではない。他の人たちに「形」や「姿勢」を見せることだ。従って、実際に「復興」に役に立つほど大量のガレキを受け入れる必要もない。

2012-03-30 20:12:50
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

以上、「『絆』はひとのためならず」。「ガレキ受け入れは自分達が被災したときに見捨てられないための保険だ」という話でした。念の為に。こういう理屈の人もいる、という話で、「ガレキ受け入れるとオレ達に仕事の金が来るからっす」という、いっそ気持ち良いほど本音の賛成論も聞きました。

2012-03-30 20:16:24