石川梵の東日本大震災の写真について(報道写真と芸術写真の違いとは)

石川梵さんの東日本大震災の写真について、被災地の写真を撮ること、報道写真と芸術写真の違いについての佐伯剛 ‏( @kazesaeki)さんのTweetをまとめました。
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風の旅人編集長 佐伯剛 @kazesaeki

『感傷的になりすぎてもいけない。思い入れを強く出し過ぎてもいけない。目の前のことだけ見ててもいけない。観念的になってはいけない。熱い気持ちと氷の視線。鳥の目と虫の目』。吉祥寺で石川梵さんの写真展 東日本大震災。  http://t.co/b8gDMHIh

2012-04-11 12:05:15
風の旅人編集長 佐伯剛 @kazesaeki

震災地の写真を撮ることの意義は誰でも色々な理由をつけて語ることができる。その語りばかりが饒舌で、写真そのものから何も伝わってこない自称フォトジャーナリストは多く、彼らはその弊害に自覚的ではない。現象の表面をなぞったような写真が溢れると、人々は、それらの写真を簡単に消化してしまう。

2012-04-13 00:49:02
風の旅人編集長 佐伯剛 @kazesaeki

本気で写真と向き合っている者は、自分が伝えようとする物事を、見る者が簡単にわかったつもりになって消化してしまうことを一番恐れる。世界は、テレビが伝えるように単純でわかりやすく、安易に消化できて、すぐに別の関心ごとに切り替えられるような薄っぺらいものではないのだから。

2012-04-13 00:53:33
風の旅人編集長 佐伯剛 @kazesaeki

フォトジャーナリストと、写真家と、カメラマンの違いなんかどうでもいい。写真家が綺麗な写真を撮る人で、フォトジャーナリストは事実を伝える使命を持っている人間などと考えていたら、その自称フォトジャーナリストは傲慢。自分の写真が、本当に伝えるべきことを伝えられているか、考えた方がいい。

2012-04-13 01:02:17
風の旅人編集長 佐伯剛 @kazesaeki

写真表現に限らず、どんな表現でも自分が人為的に作り出すものが、単純に割り切ることのできない複雑精妙な世界の事実を伝えきれているかどうか、安易に処理してしまっていないかどうか、葛藤としている人とそうでない人の違いがあるだけ。写真家、フォトジャーナリストという呼び名はどうでもいい。

2012-04-13 01:05:40
風の旅人編集長 佐伯剛 @kazesaeki

世界の現象を簡単に消費して次の関心ごとに移る。テレビというのは、そういう風にできている。そうでないとコマーシャルを挟むことはできないし、次の時間帯の番組に進めない。テレビで取り上げやすいものは、たとえ震災関連でも、そうした消費生活に適した消費財のような役回りになっている。

2012-04-13 01:24:44
風の旅人編集長 佐伯剛 @kazesaeki

吉祥寺美術館で行われた石川梵さんのトークショーを聞いてきた。最後に、美大に通っている人が、今回のような震災写真と、芸術写真の違いについて質問していた。石川さんの写真が震災地の状況を撮った写真でありながら、単なる報道写真とは違い、美が表現されていたから、そういう質問が出たのだろう。

2012-04-14 18:50:17
風の旅人編集長 佐伯剛 @kazesaeki

(続)報道写真は、こういう事がありましたと伝えればいい。その伝え方も、石川さんも言っていたように、瓦礫があり、悲しみがあり、その後にボランティア等の活躍が伝えられ、最後に笑顔で締めるという、あらかじめ出来ているシナリオに写真を当てはめればいい。見る方も特に何も考える必要はない。

2012-04-14 18:54:18
風の旅人編集長 佐伯剛 @kazesaeki

(続)報道には報道の役割があるが、石川さんは自由に動ける立場なので、そういう出来レースをする必要はない。(フリーなのにシナリオ通りの写真しか撮れない人もいるが、そういう人はメディアと相性がいいので、テレビ出演なども多くなる)。シナリオ通りでない写真は、得体の知れない感覚になる。

2012-04-14 18:57:43
風の旅人編集長 佐伯剛 @kazesaeki

(続)たとえば、石川梵さん写真は、破壊のシーンなのに美が表現されている。そういうのを見ると、美大でアートを学んでいる人は、わけがわからなくなるのだろう。そして、被災地の人達は、報道写真の場合、たとえ死体が写っていても見ることができるが、石川さんの写真を見ることは非常に恐いそうだ。

2012-04-14 19:01:55
風の旅人編集長 佐伯剛 @kazesaeki

(続)被災地の人が石川さんの写真を見ることが恐いのは、そこに自分が体験したリアルな感覚が写っているからだろう。そして、その恐さは畏怖であり、美とも通じている。人間だけが生きているのではなく、地球も生きている。ふだんは忘れているけれど、その真実の前に、時として人間は打ちのめされる。

2012-04-14 19:04:45
風の旅人編集長 佐伯剛 @kazesaeki

(続)人間だけでなく地球も生きているという真実に、実際に打ちのめされた人にとって、その真実に向き合うことは、非常に恐ろしいことだと思う。しかし、だからといって、安易な視点で希望(陸前高田の松など)を前面に押し出しても、茶の間受けする表面的なごまかしにすぎない。

2012-04-14 19:14:52
風の旅人編集長 佐伯剛 @kazesaeki

(続)畏怖の感覚を保ちながら、それでも海に感謝していると、漁師さんが言うように、安易に忘れるのではなく、悲しみや辛さを受け止め、しっかりと胸に抱きながら、生きている地球の上で、命あることの恵みに感謝しながら生きていくこと。そのためにも美の力は必要であり、芸術はその為にある。

2012-04-14 19:18:29
風の旅人編集長 佐伯剛 @kazesaeki

(続)だから、石川梵さんのトークショーの最後に質問した学生さんが、芸術のことを、単なる見た目の美しいものづくりであるとか、自分本位の感覚で自分らしさの自己主張をする実験的試みであると思っているのなら、石川さんの表現が芸術に通じるものだとはわからないだろう。しかし、これをきっかけに

2012-04-14 19:21:12
風の旅人編集長 佐伯剛 @kazesaeki

(続)これをきっかけに学校で学んでいる芸術の意味とか意義を一から問い直すことになればいい。彼女に限らず、芸術表現に携わっている人で、自分が行っている事が芸術と言えるものかどうか、3.11を機に自問自答している人もいるだろう。趣味のアートで自己完結している人は変わらないだろうが。

2012-04-14 19:30:13