- penguinsirokuro
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[1]どんなに欲しても得られないものがあるのだと少女は知っていたけれど「日陰の魔女を目覚めさせることができたなら彼女はその者の願いをきっと叶えるだろう」という伝承も同じく知っていたので、歳を重ねるごとに自分では得られないものも魔女ならば得られるのではないかと思うようになりました。
2012-04-11 21:27:46[2]ある夜のことでした。少女はドイリーを編みながら、雨のカタリコトリと降る音を聴くうちにいつの間にか微睡んでおりました。膝の上に置いていたレース糸がコロリリラと床に落ちる音にふと顔をあげると、そのレース糸の上にスナークが居たのです。少女は小さく息を呑んでそれから首を傾げました。
2012-04-11 21:59:27[3]スナークは日陰の魔女のお気に入りだという噂で、また、どんなに探しても見つからないという噂もありました。少女は何故それがスナークだとわかったのかと、ほんの少しだけ不思議に思ったのだけれど、でもわかったのだから仕方ないのだしこれは魔女に会いにいくチャンスだと思うことにしました。
2012-04-11 22:19:46[4]少女は恐る恐るスナークの様子を伺っていました。雨の音はいっそう軽やかにカラリラリコロリラリと降り続き、スナークはどうやらその音が気になる様子で首を伸ばしてみたり身体を捻ってみたりしていて、少女のことは気にも止めていないようで、実際、スナークは一度も少女の方を見ませんでした。
2012-04-11 22:45:44[5]君は日陰の魔女の居る場所を知っているの、と少女は訊ねました。スナークは初めて少女に気づいたという様に上から下まで無遠慮に少女を眺めると「だからどうだって言うのさ、」と言いました。その物言いに少女はちょっとむっとして、別にとだけ言ってレース糸をぐいと引っ張りました。しゅらん。
2012-04-11 23:01:55[6]スナークは足をとられて転がったけれど、少女は知らんぷりしてドイリーを編み続けました。白い糸と銀色のかぎ針。すくうくぐるくるり。雨は降り続けていました。カラリコロリ。すくうくぐるくるり。カラリコロリ。白い糸、すくうくぐる、銀色のかぎ針、くるり、降り続く、カラリ、雨、リラリラ、
2012-04-12 15:03:57[7]気づくとスナークは椅子の肘掛けに乗って、興味深そうに少女の手元を覗きこんでいました。それでも少女が黙ってかぎ針を動かし続けていると「なぁ、もしもボクが日陰の魔女の居る場所を知ってたらどうするんだい、」と話しかけてきました。それはもちろん魔女を起こして願いを叶えてもらうのよ。
2012-04-17 12:14:22[8]君は日陰の魔女の居る場所を知っているの、ともう一度訊ねるとスナークが「まあね、」なんて答えたものだから少女は吃驚しました。だってあまりにもすんなり認めるのですもの。スナークは椅子から飛び降りて「連れてってやってもいいけどさ、そのうねうねしたやつくれないかな、」と言いました。
2012-04-17 17:05:10[9]うねうねですって。ちょっと呆れながらも少女は頷きました。日陰の魔女に会えるなんて機会はもう無いかもしれません。少女は急いでドイリーを仕上げると(本当はちょっと目を間違えてしまったのは内緒にして)スナークに渡しました。スナークはそれを頭の上に乗せるとクルリと回ってみせました。
2012-04-17 19:28:20[10]「じゃあ行くか、」スナークがそのままドアに向かおうとするので、少女は慌てました。日陰の魔女の居るところへそんなに簡単に行けるのでしょうか。何も特別なものは持っていないのに。「気にしなくていいさ。ボクの後を着いて来ればいい。」雨はまだ降っていました。暗い夜に白い糸のような。
2012-04-18 03:51:58[11]傘が雨を弾く音が、やけに大きく聞こえました。ひょこりひょこりと前を行くスナークは不思議なことに濡れていませんでした。路地を曲がる。ひょこり右へ。少女の靴が水を蹴ってぱしゃりぱしゃりと鳴る。ひょこり左へ。すれ違う人影もなく住み慣れた街のはずなのに見慣れない路地のようでした。
2012-04-18 04:06:15[12]崩れかけた階段を降りて崩れかけたアーチをくぐり崩れかけた石橋を渡りまた崩れかけた階段を登る。くるりくるりと見たことのあるようなないような風景の中を、スナークの足音と少女の足音と雨の足音が通り過ぎて行きました。「さぁ、ここだ。」スナークが立ち止まったのは、小さな広場でした。
2012-04-19 16:06:24[13]その真ん中にある噴水を覗き込んで、それから少女を見上げたスナークは「ここだよ、」ともう一度言いました。高い崩れかけた石段に囲まれた暗い小さな広場の枯れかけた小さな噴水は、白く細い雨を受けてぱらりぱらりと鳴っていました。少女が怪訝な顔で少し屈んで噴水を覗き込んだときでした。
2012-04-19 16:39:36[14]スナークが少女の背中をぐいと押したのです。悲鳴をあげる間もなく少女は噴水の中に落ちてしまいました。うわぁぁんという耳鳴りに包まれて弾けてしまいそうになった瞬間、ひゅるりと収束したそれは静かな雨音に変わっていました。傘のぱらりぱらりと鳴る音がどくりどくりと心臓を打ちました。
2012-04-19 20:38:14[15]ゆっくり息を整えてから文句を言おうと少女が口を開けようとしたのを制するように「さぁ、着いた、」とスナークが言いました。少女とスナークは小さな家の前にいました。見回すと辺りはまるで手入れのされていない寂れた庭があるばかりでした。古びた井戸。倒れかけた木。好き放題に伸びた蔦。
2012-04-19 21:08:06[16]さも当然かのようにスナークはドアを開け少女をその家の中に招き入れました。たたんだ傘からぽたりぽたりと雫が流れ落ち、ぱたんとドアが閉まると雨音はにわかに遠くなりました。少女はスナークの後について家の奥へと進みました。窓から差し込む光がぼんやりと部屋を浮き上がらせていました。
2012-04-20 12:07:46[17]奥の部屋は、描きかけの絵や不思議な形の像やテーブルの上の開いた本や床に散らばったおかしな記号の書かれた紙などで溢れていました。少女は部屋の入り口に傘を立てかけました。随分と混沌とした部屋だこと、と呟くと「全部作ったのさ……魔女がね、」と何故かスナークが得意げに言いました。
2012-04-20 12:20:12[18]ひょいひょいと器用に物を避けながら、スナークが更に奥の続き部屋に入っていくので少女も慌てて追いかけました。空っぽのイーゼルと何枚ものスケッチを乗り越えて。続き部屋は狭くベッドと椅子を一つずつ置くのが精一杯で、そのベッドに眠っているのが日陰の魔女なのだと少女は理解しました。
2012-04-20 12:51:45[19]スナークはひょいと枕元に立つと小さな声で何か呟いたようでした。少女がおそるおそるベッドに近づくと眠っていた魔女のくちびるがはらりと震えました。吐息は拡がる波紋で部屋の色をふわりと変えて、ゆっくりと瞼を開けるとその睫毛は戸惑うような視線に合わせて何度か小さく波を描きました。
2012-04-20 13:16:28[20]魔女は静かに起き上がり、永い夢から醒めたようにもう一度ゆっくり瞬きしました。それからスナークと少女を交互に見つめました。少女は思い切って、欲しいものがあるの、と話しかけました。日陰の魔女を目覚めさせることができたならどんな願いも叶うのでしょう。魔女は小さく首を傾げました。
2012-04-20 13:31:50[21]ぽつり、と。そのレースは貴女が編んだの、と魔女が言いました。スナークは頭に乗せたドイリーをひょいと整えてくるりと回って見せました。じゃあ貴女がマリアベールを編んでくれるのね、と小さく微笑む魔女に、少女は戸惑いました。願いを叶える代わりに、ベールを編めということでしょうか。
2012-04-20 13:43:46[22]「糸ならあるさ、とびきり上等なのがね、」スナークはそう言うとひゅるりと部屋を出て何処からか籠を持って戻って来ました。籠には白いレース糸の玉が沢山と銀色のかぎ針が幾つか入っていて、手に取るとそれはとても軽く柔らかで、なるほど少女が今まで触ったこともないような上質な糸でした。
2012-04-20 13:54:27[23]でもとても時間がかかるわ。あら、時間なんて幾らかかっても構わないでしょう。貴女が被るの。ええ、わたし編み物が苦手なの、……絵なら描けるのだけれど。魔女にも苦手なことがあるのね。さぁ、どうなのかしら。ベールの長さはどれくらいが良いの。そうね、それほど豪華じゃなくても良いわ。
2012-04-20 14:24:15[24]部屋はふわりと息づき始めました。窓から差し込む光が白い肌に睫毛の影を薄く落としました。白い糸と銀色のかぎ針。すくうくぐるくるり。雨は降り続けていました。カラリコロリ。すくうくぐるくるり。カラリコロリ。白い糸、すくうくぐる、銀色のかぎ針、くるり、降り続く、カラリ、雨、リラ、
2012-04-20 14:33:28[25]器用なのね。そうかしら。ええ。あのスケッチは貴女が描いたの。ええ。器用なのね。そうかしら。雨、やまないわね。そうね。何時からかしら。ずっと降っている気がするわ。そうね。薔薇は好き。そうね。野茨なら。そう。貴女の髪、綺麗な色だわ。そうかしら。ええ。野茨が好きなの。そうなの。
2012-04-20 14:40:51