今から【「ねこぱんち」は議論ではなくスポーツである】というテーマで連続ツイートします。後でtogetterにまとめますので、ご意見ご感 想はコメント欄にお寄せ下さい。合計30ツイートあります。TLを占拠してしまうと思いますが、たまになので許していただきたいです。
2012-04-29 17:35:341)twitterやtogetterでは反対意見を表明すると「議論をふっかけられた」と言われることがある。確かにある程度議論したいと思って異論を唱えるのだが、「ふっかける」という言い方には違和感がある。
2012-04-29 17:35:512)それぞれ人間は、違う価値観で生きているので、何かを主張すれば反対意見が産まれるのは当たり前だ。反対意見を表明するのは、主張した人に「こういう見方も考慮した方がよりよい主張になりますよ」という指摘のためで、親切心だ。
2012-04-29 17:36:023)本来、議論は何かの課題を解決したい人たちが集まって意見を言い合うことで成り立つのだと思う。まず議題があり、それの解決策を挙げていって、どの案が一番いいのかを決める。別に一番いい案を出した人が偉いわけではない。
2012-04-29 17:36:204)まず、適切な議題設定をする人が必要。次に、色んな案を出せるアイデアマンが必要。さらに、どの案が良いか判断できる人が必要。どの人が一番偉いとかではなく、そういう人たちがそろっていることが望ましい。
2012-04-29 17:36:295)Twitterではそういう一般的な議論とは違う議論が行われている。そんな議論と呼べないような言い合いは「ねこぱんち」と呼ばれている。一般的なものを「議論」、Twitterでのものを「ねこぱんち」と言葉を分けて考えてみよう。
2012-04-29 17:36:396)「ねこぱんち」が課題解決のために行われることは少ない。「どちらが論理的思考を持っているか」を競うスポーツとして行われることが多い。だから、「議論」が最善策を導くことを重要視するのに対して「ねこぱんち」はどちらが勝者かを決めることが重要視される。
2012-04-29 17:36:527)「ねこぱんち」では、人格とその主張を同一視して考えなければいけない。そのため、主張に間違いがあった時は主張の内容の批判だけでなく、「バカじゃないの」などの罵倒も受けなければいけない。
2012-04-29 17:37:018)一方、「議論」は課題が解決されさえすれば何でもいいので、最善策だけではなく、様々な案を提示できるアイデアマンが求められる。間違った主張は素早く捨てて、改善された主張を新しく作ることができれば、何度間違っても大丈夫だ。
2012-04-29 17:37:109)もう一つの「ねこぱんち」と「議論」の大きな違いは、「論理的」や「論破」といった言葉の使用頻度。「ねこぱんち」では「論理的」「論破」と言った言葉を過剰に使う傾向がある。
2012-04-29 17:37:2910) 「議論」は様々な案が論理的に正しいかだけではなく、その目的に応じて、倫理的に正しいか、常識的かどうか、効果がありそうか、コストがどの位あるか、などが総合的に判断される。
2012-04-29 17:37:3811)各案についてメリットデメリットが洗い出され、明らかな最善策が見つからずトレードオフ状態になった時には、責任者によってどの項目を重要視するかが決められる。
2012-04-29 17:37:4812)一方「ねこぱんち」はある主張が論理的に正しいかどうかだけが問われることが多い。この「論理的」という言葉がくせもので「倫理的に正しいか」とか「常識的かどうか」といったことまで「論理的に正しい」という言葉で表現する人もいる。
2012-04-29 17:38:0713)「常識的かどうか」まで考えてしまうと、別々の常識を持つ人が別々の結論を出してしまう。「エスカレーターは左右どちらを開けるべきか」という議題は関西人と関東人で結論が分かれる。そのため、真か偽かが一意に決まらなくなる。
2012-04-29 17:38:1614) 「ねこぱんち」はスポーツなので勝敗を決めたがる。「エスカレーターは右を開けるべき」が真か偽かを決めたがる。本当の結論は真でも偽でもなく「関東は右、関西は左」なのに。
2012-04-29 17:38:2615)「ねこぱんち」はスポーツなので、2チームに分かれて戦う。「反原発VS原発推進」「卒業式での国歌斉唱賛成VS反対」などなど。その中間地点に最善策があるかも?と考える人はあまりいない。
2012-04-29 17:38:3516)「卒業式の国歌斉唱で自分は起立するが、他人が起立しなくても気にしない」「国歌斉唱をやめて『仰げば尊し』を起立強制」 「国歌斉唱がある卒業式とない卒業式を別々に開催」という案は検討に値しないほど下らないのだろうか?
2012-04-29 17:38:4517)勝敗が決まるスポーツは楽しくて分かりやすい。しかし勝敗を決めてしまうと中間的意見が無視されがち。「課題を最善策で解決したい」という視点では、ねこぱんち方式は、あまり役に立たないのではないだろうか。
2012-04-29 17:38:5318)ある主張が論理的に正しいかどうか、だけでなく、正しそうな相反する複数の主張をまずリストアップして、メリットデメリットを比較していった方が、最善策が見つかる可能性が高まると思う。
2012-04-29 17:39:0519)ということで基本的には「ねこぱんち方式」には反対。主張する時にはメリットだけでなくデメリットも言うべき。そのデメリットを突っつかれて相手に論破されても気にしないこと。改善した案が思いつけばいいのだから。
2012-04-29 17:39:1420)責める側も「相手を論破しよう」ではなく「相手の欠点を指摘することでよりよい案を出してもらおう」 というように協力的な姿勢で批判するべき。または積極的に対案を出すとか。そうでないといつまでたっても最善策は出てこない。
2012-04-29 17:39:2221)ここまでは「ねこぱんちはダメだ」という主張。この自分の意見に反対して「いや、ねこぱんちはそんなに悪くない」という主張をこれから始めたい。
2012-04-29 17:39:3522) テレビの討論番組では賛成派、反対派に分かれて議論する形式がよくある。そういう場合は中間的意見の人は番組に呼ばれないか、無理やりどっちかの席に座らされているか、だろう。
2012-04-29 17:39:4423)テレビ番組の目的は「視聴率をあげることによって広告収入を得ること」だから、最善策を見つけることよりも大衆に興味を持ってもらうことの方が優先される。なので、スポーツ的に2チームに分かれて戦う方式の方が良い。
2012-04-29 17:40:0024)これを「金に目がくらんで面白さを安易に求め、本質的な議論をしていない」と批判することもできるが、金目当ての行為を批判するのは資本主義自体を否定することにもつながりかねない。そうなると日本の経済がなりたたない。
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