80年代新宿南口の大道芸

劇作家高野竜氏による八十年代新宿南口の風景。小沢昭一が記録した放浪芸の世界の終末がこの時代の新宿南口にあった。このような風景は今でもどこかに残っているのだろうか? イベント・プロデューサーに仕切られた現在の大道芸祭の華やかさと陽気さは、過去の大道芸の風景を知る人には、空々しい虚飾に感じられるのかもしれない。
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@takanoryu

今日は大道芸イベントがあって、気持ちの泡立ちを抑えるのに苦労している。 大道芸がそれ単体でイベントを組まなければ人が動かない、という、社会の痩せっぷりに胸が痛む。町が当たり前のように活発で、大道芸が当たり前のように演じられていた時代はいかにして強制終了させられたかを思うと…。

2012-04-28 12:25:27
@takanoryu

1985年当時、東京で最も突出していた町は新宿南口の台湾スラムと場外馬券売場界隈だった。非正規ルートの食材と様々な趣向の予想屋を中心としたむんむんたる通俗性。僕らは大道芸なんかに用はなかったが南口には用があり、嫌でも彼らに出会った。大道芸とはほんらい、そういう風に出会うものだ。

2012-04-28 12:47:53
@takanoryu

賭け将棋がいた。千里眼がいた。居合金縛りがいた。傷痍軍人のオルゴオル回しがいた。味噌汁定食おしんこ定食各100円の屋台がいた。無数の街娼と男娼がいた。 僕らはそんな芸人たちに用はなかったが、町には、新宿南口には用があった。芸は見に行くものではない。「ともに生きてしまうもの」だ。

2012-04-28 13:02:34
@takanoryu

ある朝、甲府方面からの列車を降り立った一人の小綺麗なおっさんが南口改札を出るなり壁にもたれて動かなくなった。何日も彼は立ち続け、薄汚れてゆき、2週間もするとすっかりいっちょまえのルンペンだった。 そしてふと見回すと、新宿南口は主にそういう連中によって生きられている町なのだった。

2012-04-28 13:18:20
@takanoryu

最低ラインの人種を受容する度量を備えた町新宿が同時に芸能に満ちた町であったことは僕にとってきわめて重要な体験だった。半年後、僕自身が乞食に転落するわけだが、自分にとって演劇人であることと乞食であることはなんら矛盾せず並立した。僕の芝居は最も無力な者とともにある。今後もずっと。

2012-04-28 13:29:24
@takanoryu

大道芸について、まとめていただきました(照)http://t.co/stBueBTG で、その台湾スラムはその後どうなったかというと、山ごと削られて消滅。跡地には現在、タワーレコードが建ってます。芸能の意味が書き換えられた後の町を、いま僕らは生きているわけです。

2012-05-01 10:07:10