アニメ映画『マイマイ新子と千年の魔法』を読む

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イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

マイマイ解読のためのヒントがないかと読み進めていた『β運動の岸辺で』、その第87回に、こんな言葉を発見。 http://t.co/EzEb4fRX 【『マイマイ新子と千年の魔法』がというより、『マイマイ新子』のその少し先にある何かに辿り着きたくて日夜もぞもぞを繰り返す】

2012-06-05 16:06:10
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

時代考証についての言葉(第90回) 【仮想の世界を描くものづくりをする以上、時代考証だとかナニナニ考証だとかする必要性に事欠かない。(中略)なんとなれば、所詮考証なんてするのは作品世界を充実させるため、自分がいかにイメージを抱けるかということのためなのだから。】

2012-06-05 16:45:23
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

『β運動の岸辺で』の第10話。 【の映画を作るにあたって原作者・高樹のぶ子さんとはじめてお目にかかったとき、 「どんなふうに作っていただいてもいいけど、これだけは大事にしてほしいのは、『マイマイ新子』とは『切なさ』の物語であること」 といわれた。】

2012-06-07 14:39:00
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

『マイマイ新子と千年の魔法』における切なさを、以前、ボクは、デ・シーカの『自転車泥棒』のそれに重ね合わせていたのだけれど、あの時代のイタリア映画に流れていた仕方なさに比べたら、新子の劇中の台詞「うちらの明日の約束を、返せ!」というのは、諦めとは無縁のもので随分と逞しく膜も感じる。

2012-06-07 15:45:44
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

もっとも、最近になってロッセリーニの『無防備都市』を見たら、ネオリアリスモというスタイルであったからこそ、あるがままのイタリアを切り取ろうとしたわけで、状況的に疲労としての仕方なさは漂っていても、言葉こそは発しないものの、絶望はしていないんだなということを充分に伺うことができた。

2012-06-07 15:45:55
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

そしてもう一本、少年視点で感じ取った切なさは、トリュフォーの『大人は判ってくれない』ではなかろうかと連想。ただ、この作品では、どうもマイマイにはうまく結びつかない。で、気づくのだった。『ミツバチのささやき』のエリセが、最初に感銘を受けた作品が、何を隠そうそれなのだ!ということに。

2012-06-07 15:45:59
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

そして、さらに妄想は膨らむ。海外で、もっとも『マイマイ新子と千年の魔法』がウケた国は、何を隠そう、トリュフォーを生み出した、フランスなのではなかろうか!と。 フランス人が、マイマイを見て、どのような感想を抱いたのか、ちょっと聞いてみたい。

2012-06-07 15:47:47
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

新子はなぜ、千年前には思いを馳せるのに、千年後には思いを馳せないのか?それをボクは、この作品は、作者が自分の幼少期を振り返った作品だから、と解釈していた。 『自転車泥棒』は社会全体が切ないのであり、『大人は判ってくれない』は、子供であるということが切ない。

2012-06-07 16:00:22
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

ならば、スタイルこそはネオリアリスモだとしても、その切なさは子供であるがゆえ、であったらどうだろうか。だからこそ、昔には思いを馳せても(それは同時に、今、を認識するためでもある)、未来に思いを馳せる必要がなくなるのかもしれないではないだろうか。 そんなことを、ふと、思った。

2012-06-07 16:00:25
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

ちなみに、過去を舞台に、しかもアニメという表現方法を選んだ以上、スタイルとしてのネオリアリスモという解釈は、いささか眉唾っぽく響きそうだけれど、その齟齬を埋めるのは、徹底した時代考証にあるのではなかろうか、と思っている。また、キャストの選択も、大きな要素を占めているかと。

2012-06-07 16:05:25
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

映画という体験は、作品への感想よりも前にある思い出であって欲しい、と個人的には思っていたりして。なぜなら感想は、成長とともに更新されていくものだけれど、体験は、唯一無二な存在だからね。そしてその体験は、生まれたときから家にそれがあるという点において、TVでは得られないものだから。

2012-06-09 07:14:10
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

昨晩のボクは、すっかりとあることを失念したままに『ミツバチのささやき』を楽しみ、あの美しい瞳に魅入られていた。 そして今、DVDに添付されていたブックレットを読みながら、そういえば…と気がついた。 あの時代、スペインでは、内戦の真っ最中だったんだな、と。

2012-06-09 09:34:44
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

もちろん、スペインの内戦を知らずともそれは楽しめる。元々、細部のデティールに関してまで気なるタイプではないし、ボクが把握している程度の知識なら、余計なフィルターを被せてしまうことになりかねない。 とはいえ、その内戦を踏まえた上でかの作品を思い出すという作業は、なかなかに楽しい。

2012-06-09 09:38:34
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

それはそうと、今回、特に気にしながらそれを鑑賞したのは、女の子と死の距離を図るということだった。 作品全体を覆う、死臭のような陰気さは、繰り返される光というモチーフに反して、やるせない。 とはいえ、その死という漠然とした不安は、あまりにも漠然としすぎてとらえどころがない。

2012-06-09 09:39:02
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

実写はアニメよりも、そこに実在しているという点において圧倒的にリアルだ。しかし、死体はそうでない。そこに演技が入り込まなければならぬ実写は、その瞬間、演技する必要がないアニメに、リアルで負ける。 だからこそ、実写である『ミツバチのささやき』での死との距離が、興味深い。

2012-06-09 09:39:07
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

そしてまた、『マイマイ新子と千年の魔法』も、全編から死というものを感じ取ることができる作品なのであり、それはきっと、(時代考証やロケハンに裏打ちされた)作品から溢れ出す時代が、そう感じさせるのかと。 そんなことを、改めて「β運動の岸辺で」の第13回を読みながら思うのであった。

2012-06-09 09:46:46
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

例えばの話、『ミツバチのささやき』と『マイマイ新子と千年の魔法』で、死との距離を測る物理的な例として、線路でのエピソードを思い出す。 鉄道の線路に耳を押し当てて、やがてやってくるその巨大な乗り物の存在を感じ取り、線路から離れて過ぎ去るそれを見送るときの、乗り物との距離感、だ。

2012-06-09 09:54:43
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

だから思うのだけれど、『ミツバチのささやき』の彼女は、常に肌で死を感じ、まるでそれに憧れてすらいるように感じられるのに対し、『マイマイ新子と千年の魔法』での彼女は、行動はするし、必ずしも絶対的な安全圏に居るわけではないものの、観測者であることには変わりないのかな、と。

2012-06-09 10:02:33
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

『マイマイ新子と千年の魔法』という作品は、有難いことに、ネットで検索すると、様々な情報が公式サイトやアニメスタイルから見つかり、無料で閲覧することができます。 で、今回は公式サイトの「メイキング・オブ・マイマイ新子」、2009年10月25日より抜粋。 とある評論家の言葉です。

2012-06-09 15:29:29
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

「最近のアニメは、若い人自身の立場・心理に寄り添って、その現状・実態を描き出すのが目的になっていて、それを救うべき『奇跡』を描くという本来の機能から遠ざかっている」 (中略)「と思ってたら、ここにあったじゃないか、奇跡! 『マイマイ新子』の中に! ってとこですね。いや、ほんと」

2012-06-09 15:30:08
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

あ、あと、マイマイ新子で思い出したことが一点。 最近、イッセー尾形さんのDVDを社用車で見てるんだけれど、チョコレート色の虫下しを飲む云々のエピソードが出てきて、妙に嬉しかったり。

2012-06-09 15:59:22
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

映画の原作である高樹のぶ子さんの幼少期の思い出を綴った『マイマイ新子』を読み始めている。するとそこには、映画以上にあまりにも沢山の死の予感が満ち溢れていたので驚いた。そしてまた、死に取り残されてしまった人達の姿も。その中で無力な少女は、純粋さを武器に、無邪気な日々を過ごしていた。

2012-06-09 19:25:30
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

死には形がない。語り継がれることでやっとそれを意識できる。だから、死を感じられるということは、そこには居ない先人に思いを馳せることなのだ。 映画では、祖父の導きを経て、新子は千年前に思いを馳せる。観念としての死を映像によって実像に変えることができたのは、アニメならではの特権。

2012-06-09 19:25:33
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

個人的な感想を記すのなら、原作から感じたのは、昭和30年を生きたことの証であり、鎮魂歌なのでは、と。一方の映画は、今を生きる者として、圧倒的で切実なる現実に対し希望としての奇跡を強調したのでは、と。なぜならそれを見た人達は、また明日から、ふたたび歩き出さなければならないのだから。

2012-06-09 19:39:33
イソムラ☆ベイベー(魔法のスター♪) @donadona_No5

時間が許す限り、某作品のコンテを眺めていたのだけれど、結局分かったことといえば、ボクには絵コンテの見方がわからない、ということだった。余計な装飾がされてない、最も見せたいであろう演技に注視しているつもりなんだけれど、完成された作品の姿ばかりが脳裏に浮かんで差異が見つからんのよね。

2012-06-11 16:33:36