茂木健一郎氏 @kenichiromogi 【グローバル化の時代の翻訳】連続ツイート

2012.8/29 茂木健一郎氏:連続ツイート第700回 【日本人が陥ってはいけない、罠について】 …ドストエフスキーの小説はその高度の文学性で世界中の人を感動させている。しかし、我々は翻訳で読むのであって、ロシア語は知らぬ。ロシア語の文章にも、独特の文体や文章の美しさがあるのかもしれないが、そのことと翻訳で伝わるものは異なる…
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茂木健一郎 @kenichiromogi

滞在中のベネツィアから、連続ツイート第700回をお送りします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、昨日建築のビエンナーレ会場を歩きながら思ったあること。

2012-08-29 14:13:18
茂木健一郎 @kenichiromogi

にわ(1)建築ビエンナーレの行われているベネツィアに来ている。昨日は、日本館で、伊東豊雄さん、乾久美子さん、藤本壮介さん、平田晃久さん、畠山直哉さん、それにプロジェクトに協力してきた陸前高田の菅原みき子さんとお話した。その後、ロシアやイタリア、オランダなどの館を巡った。

2012-08-29 14:17:12
茂木健一郎 @kenichiromogi

にわ(2)ビエンナーレ会場を歩きながら、人々の心に訴えかけるものは何だろうと考えた。それは、ある抽象的な感触。どの館も、自国の言葉以外に英語とイタリア語で表記があったが、英語表現が時にストレートな翻訳調であっても、そのことは気にならなかった。もっと奥に、本質があるように感じた。

2012-08-29 14:18:51
茂木健一郎 @kenichiromogi

にわ(3)それで思い出したのが、日本からの飛行機の中で「文藝春秋」で読んでいたこの度芥川賞を受けられた鹿島田真希さんの『冥土めぐり』のことである。鹿島田さんのこの小説はすばらしく、特に主人公の夫である「太一」の人物造形が印象的だったが、それは翻訳可能なものでもあろうと考えた。

2012-08-29 14:21:27
茂木健一郎 @kenichiromogi

にわ(4)日本語としての「格調」とか、「文体」とか、そのようなものも大切だけれども、もっと大切なのは、もっと奥にあるテーマだろう。それは抽象的な感触としてしか伝わらないかもしれない。しかし、それこそが生命であって、時には文章が荒削りでさえ、いいのだと思う。翻訳でも伝わるもの。

2012-08-29 14:23:07
茂木健一郎 @kenichiromogi

にわ(5)村上春樹さんの小説は芥川賞を受けず、日本の文壇でも冷遇される時期があったが、翻訳を通して世界的な読者を得た。文体を精巧な工芸品のように作り上げる日本の文壇の「職人意識」のようなものが、文章の奥にある本質に到達することを妨げていたとしたら、もったいないと思う。

2012-08-29 14:25:04
茂木健一郎 @kenichiromogi

にわ(6)ドストエフスキーの小説はその高度の文学性で世界中の人を感動させている。しかし、我々は翻訳で読むのであって、ロシア語は知らぬ。ロシア語の文章にも、独特の文体や文章の美しさがあるのかもしれないが、そのことと翻訳で伝わるものは異なる。カフカも同じことである。

2012-08-29 14:26:38
茂木健一郎 @kenichiromogi

にわ(7)もっとも、文体の精巧がつくりだす「肌理」のようなものがあって、そのことが翻訳を通しても伝わるという可能性はあると思う。しかし、そのことよりも、背景にある概念の迫真、貫き、きらめきの方がより重要なのであって、文章をああだこうだ言い出すと、その本質を見失う可能性がある。

2012-08-29 14:28:22
茂木健一郎 @kenichiromogi

にわ(8)夏目漱石の文章は、言うまでもなく語彙的に、読み味的にも日本語として申し分ない。しかし、その小説の本質は翻訳可能なのであって、「三四郎」を英語で読んでも小説としての面白さは伝わる。だとしたら、漱石を褒めるときに、その文章を云々というのは、一つの罠なのだと思う。

2012-08-29 14:29:36
茂木健一郎 @kenichiromogi

にわ(9)ベネツィア・ビエンナーレで見た英語の表記の件に戻る。表現に稚拙なところがあっても、本質には関係なかった。英語の細かいところをうんぬんするのはネイティヴよりも日本人に多いが、情報が世界をめぐるグローバル化の時代には余計な気遣いだろう。表現の奥にあるものを見極めた方がいい。

2012-08-29 14:33:43
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート第700回「日本人が陥ってはいけない、罠について」でした。

2012-08-29 14:34:06