籠原(@suna_kago)さん、『ゆるゆり』を観る

まとめました。
1
籠原スナヲ @suna_kago

『ゆるゆり』第一期を観終わった。まず、綾乃→京子→ちなつ→結衣の関係がある。そして、俯瞰する立場の千歳と、疎外されたあかりの二人が、彼女たちの恋愛を絶えず相対化している。……というのが、前半までの図式だった。だが後半、千鶴とりせの登場によって、その図式さえ相対化される。

2012-09-04 23:46:07
籠原スナヲ @suna_kago

千鶴は、それまで俯瞰の立場にいるだけだった千歳をも「百合妄想」に巻き込む。その千鶴本人もまた千歳に「妄想」されることで、もはやこの作品に唯一絶対の観測者は存在しなくなるのだ。修学旅行の回で、カメラを構える千歳をみんなが「写される側」に誘うシーンは、あまりに象徴的である。

2012-09-04 23:52:59
籠原スナヲ @suna_kago

他方りせは、あかり以上に疎外されている。千歳にティッシュを渡す、「幽霊」として登場するなど、共通点も多い。もはやあかりは、単一的な「不在の他者」を名乗ることさえできない。そして、そのりせが西垣との関係を取り結んでいることから、あかりもまた恋愛に参入する可能性を孕むのだ。

2012-09-05 00:07:07
籠原スナヲ @suna_kago

おそらく、第一期では姿を現さなかったあかりの姉にしても、絶対的な中心人物ではないだろう。『ゆるゆり』は、恋愛を描いた作品というよりは、「そもそも恋愛が生成するのはいかなる場所においてか?」を構造的に示したうえで、絶えずそれを逸脱していくような作品として観ることができる。

2012-09-05 00:15:49
籠原スナヲ @suna_kago

ところで、クリスマスデート回で「綾乃と結衣」「千歳とあかり」というペアにをつくったことにより、この構造はよりいっそう明らかになったように思われる。前者のペアは、片想いの「最後」と「最初」、後者のペアは、「見えすぎる人」と「見られなさすぎる人」の対に、それぞれなっている。

2012-09-05 00:23:05
籠原スナヲ @suna_kago

しかし、京子→ちなつ→結衣は凄い。京子はちなつにミラクるんを重ねて愛でたあと、自分がミラクるんになって結衣(=ライバるん)と連関する。ここには同一化の欲望を通じた結衣への愛があるのだけど、もともと京子とちなつは、結衣に「私が守ってあげる」と言われた点でも似ているわけだ。

2012-09-05 00:35:47