建築夜楽校2012 10/4まとめ
ジョルジュ・バタイユは『無頭人(アセファル)』を書いた。殺害された神のこと。われわれの東京計画は、首から逃げた都市。無頭都市。脳が拡散されて神経系に還元できれば、すでに一点集中という意味での首都機能は存在しないのではないか?何故いまさら21世紀の首都か?頭より胴体に興味がある。
2012-10-10 15:51:08討議は首都に対して誰が空間的な構想力を発揮するのかという日埜直彦さんの問いから開始。国境の希薄化とともに首都の空白化がある。それを埋めるのは、展示が暗示したように、広場か?八束さんが、空間的な首都機能に対しては、丹下-磯崎-八束の系譜で、どんどんリアリティが失われていると答える。
2012-10-11 15:43:47佐々木さんは、これまでの「首都」はフランス革命で誕生した国民国家の首都で、集権的な都市としての首都論は、21世紀にはあまり意味がなく、文化首都が重要だと答える。旧来の首都である東京を、ネット力に依存しつつどう再生するか?そこで東アジア文化圏を意識できるかどうかは大きいとする。
2012-10-11 15:45:33重松さんは、東京が文化的首都になれるかどうかは、海外から見ていると非常に重要な質問だと指摘。文化的な首都をつくる手法は、建築家を含めてまだ開発できていないが、ローマ都市のようにパッケージ化しない方がよい。パッケージ化以外、近代化以後の道を模索するなら、東京に期待が持てると応じる。
2012-10-11 15:47:29松田は、自分も含め建築関係者が首都と聞いて空間的首都を思い浮かべる傾向があるのに対し、21世紀の首都のイメージとして、空間的首都ではない首都が求めてられいるのではと考えを述べた。日埜さんは、カソリック=集中性、プロテスタント=分散性の例を挙げ、異なる空間的イメージの可能性を問う。
2012-10-11 15:49:35重松さんは、レイヤー化される首都像に対し、EUの首都ブリュッセルの例を挙げ、ソフトに力を入れ、異なる文化の軋轢を利用しながら、政治、経済、文化的に融合するイメージに、学ぶべきものがあるのではと指摘。関連して、佐々木さんは、ぶつからずにずらしていける文化首都のメリットを挙げた。
2012-10-11 15:53:38討議を通し、複数の首都像が浮かび上がってきたことは、成果の一つだといえるだろう。また首都の階層的分離の中から、文化的首都が一つの可能性として浮上した。一方、空間的首都像を描くためには、何かが欠けているだろうことも明らかになってきた。それはもしかしたら、21世紀の広場かもしれない。
2012-10-11 15:55:33第一夜は、首都と地方を結ぶような話を飛び越え、一気に東アジアにおける日本の首都の位置づけの問題にいたった。地方の話が出てこないという批判もあったが、20世紀までの国民国家の首都に対し、21世紀の首都が、国境が希薄化された世界における首都であるなら、国内だけに話を留める必要もない。
2012-10-11 15:57:40とはいえ、佐々木さんが紹介された創造都市とそのネットワークは、まさに地方が目指すべき今後のひとつの方向性でもあった。これらの議論を踏まえ、第二夜の討議に移りたいと思います。パネラー、コメンテーターも変わり、別の方向からの議論となるでしょう。後ほど、どうぞよろしくお願いいたします!
2012-10-11 16:01:04