- matsudayuuichi
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若松監督が、先日新宿で交通事故に遭われました。驚いて、事務所に電話したところ命に別状はないとのことでした。ほっとすると同時に、回復をお祈りします。落ち着いたら、面会にお伺いさせていただきたいと考えています。相談したい事等もありましたので、本当に驚きましたし、心配しました。
2012-10-17 23:55:42先日、森田必勝さんのお兄さんにお邪魔した際も、若松監督の三島映画を上映したいという話しも出ました。また、京都や岐阜などでも見逃してしまった人がいるとのことで、「連合赤軍」の時のように、自主映画会を開いてはどうかという話しにもなっています。札幌でも上映会したい人がいるとのこと。
2012-10-17 23:57:25まさに、今日、事務所に電話したばかりなんです。スポーツ報知には「腰と頭を打った」と記事があったので、心配していたのですが、事務所の方は命に別状はないとのことで、落ち着いたらお見舞いをと言われただけに本当に残念でならないです。ショックです。言葉がないです。
2012-10-18 00:47:47まだまだこれから、映画をたくさん撮るというお話も聞いていたので、ショックでなりません。今、知合いからも連絡がきました。日本の、本当に本当に大きな宝を失った感じです。ご冥福をお祈り致します。。。。。http://t.co/okDwDUZn
2012-10-18 00:50:29若松監督、本当に残念です。悔しいです。もう、これだけの監督は出ないでしょう。新聞も、沢山取り上げています。その中でも、河北新報(10月19日)が一番良かったです。監督は宮城県涌谷町出身です。涌谷中学校時代の担任だった先生が話しています。
2012-10-19 21:09:04「中学時代は身体が小さかったが、負けず嫌いだった。その精神こそ彼の生き方そのものだったのではないか」「温かい心は、故郷涌谷の風土が育てたものと思う。いまはよくやった、偉いと褒めてやりたい」
2012-10-19 21:10:52葬儀の案内が18日に届きました。19日の朝刊には各紙出てました。「ああ、本当なのか」と、又ガックリきました。青山葬儀所で10/23(火)が通夜、18時〜19時。10月24日(水)が告別式、10時30分〜12時です。
2012-10-19 21:12:2510月23日(火)は午後6時から、お通夜でした。24日(水)は午前10時半から告別式でした。若松孝二監督に最後のお別れをしようと、全国から大勢の人が参列しました。突然の死で、皆、信じられない、信じたくない様子でした。私も同じです。 皆、涙、涙でした。
2012-10-26 08:48:5924日(水)、告別式が終わってから、文化放送に行きました。寺島アナウンサーに「でも、出棺の時、皆で拍手してましたね」と聞かれました。あっそうか。そのシーンだけを見ると「あれっ、どうして?」と思うんでしょう。
2012-10-26 08:49:52出棺の前に、娘さんが親族を代表して挨拶したんです。「監督は、しめっぽい事が嫌いでした。“俺が死んだら、メソメソするんじゃないぞ。よく頑張ったって、拍手で送ってくれよ”と常々言ってました。だから、今日は拍手で送ってやって下さい」。 それで皆が一斉に拍手をしたのです。
2012-10-26 08:50:56たしかに珍しい出棺風景です。でも、本当に、監督は頑張ったと思います。もう、日本には映画監督はいない、そんなふうにも思います。 いつも、いつも、頭の中は、次の映画のことで一杯だったそうです。
2012-10-26 08:51:53「次は、東電事故の映画を撮る」と言ってました。これは、9月14日の一水会40周年大会でお会いした時、監督から聞きました。この日がお会いした最後になりました。
2012-10-26 08:51:54告別式の時、娘さんは、さらに、こうも言ってました。これから撮りたい映画として、東電だけでなく、沖縄戦、731部隊、白虎隊…などをあげていたそうです。ぜひ見たかったですね。撮ってほしかったですね。
2012-10-26 08:52:38お通夜と告別式と両方行きました。「若松孝二」は本名だと思っていましたが、違ったんですね。本名は伊藤孝だそうです。「孝」を「孝二」にした。では「若松」は、どこから来たのでしょう。「会津若松」から取ったという人がいます。私も、そう思います。だから、白虎隊を撮りたいと思ったのでしょう。
2012-10-26 08:53:32ちなみに、親族を代表して挨拶した娘さんの名前は「宗子」さんです。めずらしいです。「きっと、伊達正宗」から取ったんでしょう。と私は言いました。会津若松にも愛着があり、伊達正宗にも愛着があるのでしょう。東北人としての反逆精神ですよ。
2012-10-26 08:53:53政治家の鈴木宗男さんは、お父さんの代までは宮城県にいたそうです。それで「伊達正宗のようになれ!」という思いを込めて「宗男」だそうです。同じ志です。
2012-10-26 08:53:57お通夜、告別式では、本当に沢山の人々に会いました。「11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち」に出ていた井浦新さん、満島真之介さんなどにも会いました。告別式では井浦さんは弔辞を読んでました。
2012-10-26 08:54:47若松映画に出てた人が皆、来てました。「実録・連合赤軍」に出てた人も…。それでつい、「永田さん!」「吉野さん!」と呼びかけてしまいました。
2012-10-26 08:55:14永田洋子をやった役者さんは、自分では普通に戻ったつもりでも、友人たちからは、「あれ以来、性格が変わった」と言われてるそうです。どう変わったのか、今度、詳しく聞いてみたいです。
2012-10-26 08:56:38奥田瑛二さんにも会いました。終戦直後、ブラジル日系人の「勝ち組」「負け組」の間で、殺し合いがありました。それを描いたブラジル映画「汚れた心」に奥田さんが出演してたので、その話を聞きました。考えさせられる映画です。連合赤軍事件と似ています。
2012-10-26 08:57:26連合赤軍関係者には、「皆、見たらいい」と言いました。「連合赤軍の全体像を残す会」の椎野礼仁さんにも紹介しました。今度、ゆっくりと奥田さんに話を聞きたいです。
2012-10-26 08:57:30それに、内田裕也さんにも会いました。元気です。「今度、ゆっくり対談をお願いします」と言ったら、「いいよ、やりましょう」と言ってました。どこかの雑誌でやると思います。
2012-10-26 08:57:48できたら、認めたくないですね。若松監督が亡くなったなんて…。「最近、長いこと会ってないな…」とずっと思っていたい。そう思います。ところが、お通夜、告別式はつらいですね。残酷ですね。もう、こんな偉大な監督は出ないでしょう、と思いながら、その死を確認させられ、とてもつらいです。
2012-10-26 08:58:02