茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第759回「全体を、やわらかく見る」
- toshihiro36
- 9273
- 0
- 0
- 43
連続ツイート第759回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日も、引き続いて、日本を元気にするツイートシリーズ!
2012-10-29 06:08:08ぜや(1)引き続き、セレンディピティ(偶然の幸運)について考えよう。セレンディピティの三要素(行動、気づき、受容)のうち、気づきは、きちんと向き合おうとすると案外難しい。目の前に大切な出会いがあっても、気づかないということが日常的にあり得るのである。
2012-10-29 06:10:15ぜや(2)たとえば、ガールフレンドとデートでご飯を食べ始める。30分くらいした時に、彼女が、「ねえ、私、何か変わったところない?」と聞く。その瞬間、あなたは恐怖の思いにかられる。「あっ、君、髪の毛切ったんだね」もう遅い! 変化があっても、気づかないことはよくあるのだ。
2012-10-29 06:11:27ぜや(3)目の前にあるのに気づかない。ここには、意識の二重構造がある。記憶や認知にかかわるHOT(higher order thought)と、その時々に視野の中に見えているものの相対(visual overflow)は、一致しない。前者は後者のごく一部に過ぎないのだ。
2012-10-29 06:12:57ぜや(4)視野の中にあるさまざまなものは、見えているようで見えていない。だから、セレンディピティのきっかけになるもののほとんどを、私たちは見逃してしまっている。宝の砂が、手の間からぽろぽろこぼれている。人生は、時々刻々、「もったいない」のかけ流しのようなものなのである。
2012-10-29 06:14:20ぜや(5)少しでも、セレンディピティのきっかけを拾うには、どうすればよいのか。人間は、どうしても、ある特定のこと/ものに注意を向けがちである。何かを目的として行動している時に、その目的以外の、周辺視野にあるものに、注意がなかなかいかなくなってしまうのだ。
2012-10-29 06:16:18ぜや(6)視野の中にある、特定のものに注意を向けて、それ以外が見えなくなってしまう。これを武術では「居付く」という。何か特定のことに「居付いて」しまうと、それ以外の周辺視野の中にある、たいせつなセレンディピティのきっかけになるものに、気づかずに取り逃がしてしまうのだ。
2012-10-29 06:18:00ぜや(7)たとえば、喫茶店で打ち合わせをしているとする。間の前にいる、相手に注意を向けることは大切である。その一方で、セレンディピティのきっかけは、隣のテーブルに座っている人にあるのかもしれない。あるいは、店の壁にかかっているポスターにあるのかもしれない。とらわれてはいけない。
2012-10-29 06:19:36ぜや(8)つまり、セレンディピティのきっかけをつかむために必要なのは、ある種の「注意の配分」の芸術である。今対象になっているものに7割として、それ以外のものに3割くらいの注意を払う。そして、何か注目すべきものがあったら、無意識から「ポップアウト」するものを拾う。
2012-10-29 06:22:23ぜや(9)全体を、やわらかく見ること。これが、セレンディピティのきっかけをつかむために必要なこと。そして、それは案外難しいことである。一日生きる上で、どれだけ多くのことが、私たちの意識を通り過ぎていくことだろう。そのきらきら光る宝物のうち、ごく一部だけでも、拾うことができたら。
2012-10-29 06:23:49