翌日、ハルは早起きをして洗面所の鏡に向かい、新たな自分を造出した。 「……ふむ、悪くないんじゃないかな」 出来映えに満足してから朝食をとり、プリンは断腸の思いで我慢した。たぶん、硬派にプリンはふさわしくない。 愛理が訪れる前に玄関で靴を履く。
2012-11-18 17:46:20すると母がキッチンから慌ただしく見送りにきた。 「ハル、ハル、言い忘れてたけど、お母さんたち今日から旅行に出掛けるから」 「うむ」 急なことなので文句のひとつやふたつ付けたかったが、硬派はそんな些末なことにこだわらないと自分に言い聞かせて渋みたっぷりにうなずく。
2012-11-18 17:48:33「ゴハンはアイちゃんになんとかしてもらいなさい」 「うむ」 いい年していつまでも愛理の世話になるのは恥ずかしい、とも言わない。 「あとね」 「うむ」 「その影響受けやすい性格、なんとかしたほうがいいわよ」 「う、む」 ちょっと心にダメージを負ったが、深く考えずに家を出た。
2012-11-18 17:50:52おりしも琴理が隣の家から出てくるところであったが、彼女はハルをみるなり目を丸くしてむせ返り、喉につまったとおぼしきアメ玉を口からこぼした。 「な、なにごとですか……い、威嚇?」 今朝ばかりは口先の回転数もひかえめである。
2012-11-18 17:52:55やはりくちばしのように尖ったリーゼントには威圧感を覚えるのだろう。父親の部屋から拝借したサングラスと黒の長ランも雰囲気をつくるのに一役買っている。 これぞ硬派、という外見のつもりだ。 なにか間違っているような気は、正直ちょっとしていた。
2012-11-18 17:54:53「こ、琴理は今日、不本意ながら飼育当番で早々に学校へ向かわねばならないです。近くを歩いたら即通報するですから、最低五分は間を空けてください」 「うむ」 子供相手にムキにはならない。鷹揚に返事をしてその場に佇む。
2012-11-18 17:57:24アメ玉を舐めるのも忘れて警戒しながら歩み去る琴理を見るかぎり、やはりこの威圧的な外見は正解だったのかもしれない。すくなくとも暴言は収まった。 気をよくして時間が経つのを待っていると、隣家でまた玄関のドアが開いた。
2012-11-18 17:59:29「……ごめん、アタシの代わりに琴理に代弁してほしいこのドロドロした気持ち、いったいどうすればいいのか分からない」 「うむ」 「なんでまた……そんな惨状に…」 「俺は──強くなりたかったのかもしれない」 ふっと寂しげに笑ってみると、異様に白けた眼差しで見られた。
2012-11-18 18:03:59「で、強くなったつもり?」 「人は強くなったと思い込んだときが、もっとも弱くなるものさ」 かっこよく言ってみたつもりだった。冷めた顔の愛理が距離をつめてきて、拳を振りかぶってくるのも、おおらかな心でみていられる。
2012-11-18 18:05:46かといって黙って殴られても硬派のフリなど一発で吹き飛ばされかねないので、かっこよく受け止めるつもりで片手を顔の前に構えた。 どむり、と頭頂に手刀がめりこむ。
2012-11-18 18:07:15「その髪型も服装も校則違反だよね?ハルが変なことしたらなぜか隣のアタシに文句がくるって知ってる?ハルのせいでアタシが大恥かくんだよ?」 「世界はこんなにも理不尽だ……指摘の前にチョップ食らったり」
2012-11-18 18:09:04地面に這いつくばりながら頭に触れてみる。整髪ジェルで石のようになっていたリーゼントは手刀一発でばらけて鳥の巣になっていた。 髪をセットするための苦闘一時間を思えば涙が滲む。が、耐える。硬派だからな。
2012-11-18 18:10:51「ふふ……いいさ。男は小さなことにはこだわらん」 「あっそ。アタシ、今日は用事があって遅れるから先に行ってて。弁当は教室で渡すから。ていうか一緒に歩きたくないからさっさと失せて」 「構わんさ、男はいつもひとりだ」
2012-11-18 18:12:45よろりと立ち上がり、ふらりと歩き出した。 朝日を浴び続けたためか黒い学ランが暑苦しくて汗がにじむ。後悔もじんわりとにじみだしてきた。やっぱり色々と間違えてしまったのかもしれない。
2012-11-18 18:15:30だが振り向かないのが硬派──という考え方を返上したくて、来た道を引き返そうとしたとき、小さく悲鳴が聞こえてきた。 木場家と空き地の並ぶ通りに入ったところだ。 「まさか……琴理!」 硬派も軟派も頭から消し飛んだ。 暑さも忘れて駆け出し、空き地の前で急ブレーキ。
2012-11-18 18:16:42土の上に転がったアメ玉に、蟻が群がっている。 案の定、草むらの真ん中で琴理が猫に囲まれてへたりこんでいた。近寄ってきた一匹に足を舐められただけであどけない顔が蒼白になる。 「んひぃ、へひふえっ!おかっ、おっ、犯されるですぅ……!」
2012-11-18 18:18:46ふにゃあふにゃあと四方八方から猫たちに舐めたくられ、硬直のまま落涙する。 「こ、このままでは、悪魔的トゲち×こで琴理の純潔がズタズタにされちゃうです!はっ、破瓜ッ、破瓜い神降臨ですぅ!」 「琴理……それ単になついてるだけだと思うぞ。」
2012-11-18 18:21:35「ふ、不覚です…!囮にするために投げようとしたマタタビ汁を自分でかぶってしまうなんて。ああ、お姉ちゃんごめんなさい……可愛い琴理はこんな場末で汚されガールにクラスチェンジする運命のようです……」 混乱の極みでは他人の声など聞こえないらしい。
2012-11-18 18:23:39ハルは気の抜けた顔で琴理と猫の触れ合い空間に踏み込んだ。ビクンと猫たちが一斉に身震いし、唸り声とおもに振り向いてくる。 いつもの「遊んで遊んで」と媚びてくる態度ではない。 敵意のままに牙を剥き出している。その鼻がたびたびクンクンと音をならしていた。
2012-11-18 18:25:33「……まさか、ジェルの匂いが気に入らないのか?」 昨日購入したばかりの整髪ジェルは、たしかに少々匂いがキツいと感じることもあった。しかも一本の七割がなくなるほどの量をぶちまけたのだから、猫の鼻にとって挑発的な匂いになってもおかしくはない。
2012-11-18 18:27:50とくにひときわ大きくて犬と見間違えそうな一匹、茶色と黒の斑模様が目にあざやかな猫が尻尾を立てて近づいてくる。 「ちょっ、おい、マダラ…!昨日はあんなにフレンドリーだったじゃないか!どうして!?」
2012-11-18 18:30:32ドーベルマンと互角に噛み合ったというマダラが歯茎を剥き出しにするのだから、硬派気取りの返上を決めたばかりのハルが動揺せずにいられるはずがない。 一歩、後ずさったのが隙に見えたのだろう。 マダラが飛びかかってきた。 「ぬおおおおおお!」 ハルはとっさに横転して攻撃を避けた。
2012-11-18 18:32:27