田舎と文明と極論

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磐樹炙弦 Bangi V. Abdul @bangi23

地方では「なぜできないか」を説明される時間が増える。街では主に「どうすればできるか」を話さざるを得ない。つまり、田舎とは精神なのだ。

2012-10-14 02:43:08
磐樹炙弦 Bangi V. Abdul @bangi23

地方できかされる「なぜできないか」の多くは実は「私のなわばりでなぜそれを許可できないか」であったりする。この思考はテリトリーの概念と密接に結びついているため、テリトリーが曖昧な都市部では相対的に効力を弱める。

2012-10-14 02:46:46
磐樹炙弦 Bangi V. Abdul @bangi23

おれ自身は放蕩さえあればテリトリーはいらない。なぜだろうと考えてみるに、放蕩と法悦は逸脱によってのみ可能となるからであろうと思い至った次第である。

2012-10-14 02:51:06
磐樹炙弦 Bangi V. Abdul @bangi23

つまりこう言えるのではないか。放蕩とは不在の領土の王権を主張すること、であると。

2012-10-14 02:54:48
磐樹炙弦 Bangi V. Abdul @bangi23

雄には死が、雌には生がプログラミングされている。故に一妻多夫、男性結社、熱狂的祭儀と栄光ある死のデザイン、決闘、女性政党と聖娼、両性具有的僧侶階級による社会機構が最も合理的となるが、一神教組織宗教によるトランスの独占がこの内在的指向性を防ぐ。これは一時的・経済的事象に過ぎない。

2012-10-15 15:56:39
磐樹炙弦 Bangi V. Abdul @bangi23

そんな社会があったとして、そこに蔓延る汚職や病理を想像してみる

2012-10-15 16:01:37
磐樹炙弦 Bangi V. Abdul @bangi23

あらゆる架空の文明とその病理を描く「人間の限界」シリーズが読みたい。全80巻とかでも買う。いや図書館で読む。

2012-10-15 16:03:56
磐樹炙弦 Bangi V. Abdul @bangi23

【極論2012】雄でも雌でもないキメラ「人間」と、その想像上の領土を統べる王としての「個人」の仮装が現文明の信仰と祭儀の正体であり、それは自然の内に対応物を持たない絵空事、飛翔への夢に破れた死に至る病である。否、死こそが「個人」を偽証するための発明品なのだ!

2012-10-15 16:21:55