@chronekotei はじめまして。作品順では『オペレッタ』の方が後なのですが、脚本としては『陽炎座』の頃に清順監督の依頼で執筆(その後『狸御殿』の企画が頓挫、約20年後に再浮上し、改稿)されているらしいので、浦沢さん的には『狸御殿』を『大龍宮城』に活かしたのかもしれません。
2012-11-26 20:19:59@m_h0q ええ、存じております。浦沢義雄は鈴木清順をすごくリスペクトしているので、脚本を書いたときは「あの清順の映画の脚本を」みたいに思ったみたいですね。まあ、大竜宮城をはじめとして、時々浦沢脚本作品に出てくるミュージカルネタは、そこが出発点でしょうね。
2012-11-26 20:22:04@chronekotei ご存知でしたか、失礼しました。『カリキュラマシーン』の頃からご自身も作詞には自負がおありだったようで、その辺りを清順監督が買ったところもあったのかなとも思うのですが、やはり長編である『狸御殿』がミュージカルネタの本格的な出発点だったのかなと私も思います。
2012-11-26 20:45:08@m_h0q 浦沢義雄と清順組の関係と謂うのはけっこういろいろあるんですよね。浦沢自身は鈴木清順の大ファンで脚本家としては大和屋笠に師事していて、大和屋の息子の暁が逆に清順の弟子だったり、清順が映画で喰えない頃にポワトリンに出演させたりとか。
2012-11-26 20:50:33@chronekotei 暁さんは浦沢さんのお弟子さんですね。「大和屋竺→浦沢義雄→大和屋暁」と、親子の間に浦沢さんが入った系譜です。また、浦沢さん曰く、『ポワトリン』で清順監督が出演したのは浦沢さんからの声掛けではなく、たまたま監督陣の中に清順監督のファンがいたからだったとか。
2012-11-26 20:58:25@m_h0q まあ、表向きはそうなっていますが、あの頃の清順監督は、とにかく彼をリスペクトしている世代が何とか彼に映画を撮らせようと仕事を回していた時代でもあったので…
2012-11-26 21:05:00@chronekotei なるほど、そういう背景もあったのですね。リスペクターだからこそ「自分が清順監督を呼んだ」みたいなことを言うのが嫌で、はぐらかしたのかもしれませんね。それも浦沢さんらしい気がします。
2012-11-26 21:32:00@m_h0q 浦沢義雄って、含羞の人なんで、言ってることを丸々真に受けるのもあれかなーって感じですね。とにかく、ポワトリンの頃に全然喰えてなかったのはホントっぽいです。それで、役者でもいいから仕事させよう、と。同じことを「夢二」で清順が長谷川一彦にやってますね。
2012-11-26 21:34:06@chronekotei 浦沢さんが含蓄の人というのは、まさにそのとおりだと思います。確かに90年代の頃は、清順さんは役者・タレントとしての活動が多かったですよね。逆に映画監督としては、その『夢二』と短篇オムニバスの『結婚 陣内・原田御両家編』(これも浦沢脚本)ぐらいで。
2012-11-26 21:45:45@m_h0q まあ、ぶっちゃけて言うと、シネマプラセットって鈴木清順の名前を想い出させはしたけど、別に清順映画はそんなに稼げないんですよ。だから映画界は清順監督を喰わせて映画を撮らせると謂う、儲けに直結しない文化的事業をみんなで喜んでやっていたんです
2012-11-26 21:48:07@chronekotei 確かに「稼げる映画」という感じではないですよね。実際『狸御殿』を観に行ったときも、初日から一週間後位で客が4~5人程度だったのを強烈に覚えています。私は好きな映画でしたが…。しかし、その扱いたるや、清順さんはまさに「神様」ですね。
2012-11-26 21:58:43@m_h0q 清順監督には映画を撮らせないとダメですよ。映画に携わっている人々がそう思うのは当たり前ですね。でも、もう一本、と謂うのは欲張りすぎかもしれません。
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