上山「軽率な診断発言について」を巡って:20121121-20121124
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@ueyamakzk それで済むならそれはそれでよいのですが、上山さんがこだわっているポイントはそういうところじゃないんじゃないかなぁ、と漠然と感じてはいるのでした。
2012-11-22 02:25:14@contractio これは、「自分の議論がどう見えてしまっているか」を知るためにも、チェックしておきたいです。ご紹介ありがとうございます。
2012-11-22 09:08:03@contractio 詳細はあらためて考えたいですが、おそらくポイントの一つは、《制度》概念だろうと思います。私が説明しようとした、「制御する側とされる側を截然と分けられない」ような分析は、ひとまず《制度分析 analyse institutionnelle》と言われています。
2012-11-22 09:08:52@contractio これはラボルド病院で使われていて、現役の表現です。この場合の「制度」に込められた意味は、社会学周辺で言われる意味とは、どうやら違っているようなのですね。(以前に議論をご一緒したときにも、この点が問題になっていたと思います。)
2012-11-22 09:11:07@contractio 筒井淳也さんのご本 http://t.co/QnWakR22 は、私はとても勉強になったのですが、私どもの共著本でこの本に言及した一節については、筒井氏は怒り出してしまわれた…
2012-11-22 09:13:53@contractio 酒井さんに購入いただいた共著本 http://t.co/b26LxDrW の人間関係でも、「制度分析しなければ」という言葉が頻繁に言われ、「では分析すべきことは何か」「どういうスタイルでか」「この方法じたいに問題はないのか」といったことが頻繁に問われます。
2012-11-22 09:14:39@contractio つまり、「制度分析しなければ」という表現で、かなりの程度は共有された内実があって、それは明らかに、この文脈を知らない人たちとは共有していない理解なので、それが先ほどご紹介いただいた書籍と違っているのではないか、とは想像するのですが、
2012-11-22 09:15:46@contractio 「では制度分析で何を意味しているか」については、細部に齟齬が残っていると言うべきだと思います。私は自分の理解で説明していますが、それはラボルド院長のジャン・ウリを含め、関係者のそれぞれが微妙に違う説明をするかもしれません。
2012-11-22 09:17:48@contractio フランスの活動を調べるには、ラボルドでの使われ方を取材しなければならないのは勿論です。▼昨日の「理論」という単語もそうですが、「制度-分析」という言葉に込める意味が、興味を寄せる各人で、少しずつ違っている印象があります。
2012-11-22 09:19:46@contractio 「とはいえ、ラボルドの紹介記事は、私もいちおうは読んでいる」の件は、スルーして失礼しました。▼直接比較しては失礼かもしれませんが、私じしんが、ラボルド病院の《制度》概念にある程度なじめるまでに、4年ぐらい(!)かかっているのですね。
2012-11-22 09:20:24@contractio 当時はラボルドの紹介本は日本語では一冊しかなくて、 http://t.co/gXTDMGxK これを手に入れたものの、なんというか、「左翼の精神病院だなぁ」としか思わなかった。どうでもいい当たり前のことを、イデオロギー的に連呼してるだけに見えた。
2012-11-22 09:21:08@contractio つまり、ほかの病院と何が違うか、趣旨をあるていど理解できるまでに、4年もかかっている。まさに私じしんが、「ほかの病院と一緒じゃないか」と思っていたわけです。ですので、紹介記事をいくつかご覧になっただけでは、厳しいだろうというのも正直なところです。
2012-11-22 09:22:48@contractio それで、このラボルド病院で《制度分析》(を通じての、制度論的な精神療法)に取り組んでいたガタリに興味をもつ人もおられるのですが、彼の使った「スキゾ分析」や「分裂性分析」を単語として、日常的に用いて医療業務をこなす人は、今のところおられないと思います。
2012-11-22 09:26:06@contractio 単語としてわざわざ「schizo-analyse」を使うときは、なぜこの場面で「制度分析」ではなく、こっちの言葉を使ったのか、その趣旨を最初から説明し直さないといけない感じです。
2012-11-22 09:26:32@contractio この「schizo-analyse」は、「制度分析」とほとんど完全に重なる趣旨を言いつつも、さらに別の提案趣旨を込めたわけですが、そこで精神科の診断名である「schizo-」を、わざわざネーミングに取り込んだ。これはあらためて、その内実を問われそうです。
2012-11-22 09:28:31@contractio ガタリ本人がさんざん誤解に苦しみ、「べつに統合失調症それ自体を称揚したわけではないのに」「病気は単に悲劇だよ」と言っているのですが、ネーミングに彼なりの必然性はあったにせよ、伝達のしかたとしても、失敗していると言わざるを得ない。
2012-11-22 09:29:16@contractio ひとまず追加的な情報としては、そんな感じです。▼あと個人的に、モチーフとしての《不信》が、本当に決定的であるらしいことに、昨日ご一緒していて気づきました。
2012-11-22 09:40:48@contractio 「その不信のなかみを分析できれば、個人的なことを超えて貢献できるかも」というご指摘は、大きな励みです。ありがとうございます。
2012-11-22 09:41:35@contractio ここから先は与太話というか、雑談ですが… ▼不信というと、人や理論への不信はもちろんですが、さらにさかのぼって、現象世界それ自体に対して、「信じていない」というか。(いきなりこんなことを言い出すのは失礼でしょうか)
2012-11-22 09:45:26@contractio ルーマンの戦争体験の話で、「すぐ隣にいた戦友が、一瞬の後には(砲撃で)跡形もなくなっていた」というエピソード。そこでルーマンが生き残って友人が死んだのは、偶然にすぎない。たとえばあのエピソードは、頭にこびりついて離れません。
2012-11-22 09:46:28@contractio 「何をやったところで、どうせいつ何が起こるかわからない」――そういう“不信感”が、人や理論、社会そのものへの不信とセットになって、つねに私の感覚を支配していて、制御できなくなっている感じもあります。(10代からずっと自覚しているモチーフです。)
2012-11-22 09:50:36@contractio もちろんこれだけなら、誰にでもある感覚ですので、「不信の分析」については、さらに中身が必要なのですが。▼私が塩谷賢さんが言うような「直接性」にこだわることと、いま申し上げたような「現象の信用ならなさ」は、切り離せないと感じます。
2012-11-22 09:56:01@contractio ○○「について」論じるだけで、その論考プロセスだけが、安全圏にいられるわけもなく。命綱のない場所で、すでに実際に、やってしまっている、晒されている。それを積極的に生きるには、プロセスそのものを自己目的にできるスタイル以外に、やりようがない…
2012-11-22 09:59:43@contractio ディシプリンのメタ性を確保する、そこに居直るような言説は、まるで自分の活動だけ安全圏にあって、100%のアリバイをもつみたいに振る舞っていて、嘘に思える。そんな、アリバイのある安全圏など、絶対に存在しようがないのに。
2012-11-22 10:04:49