尼多博士的ポケパークについてのつぶやきまとめ
2005/2006のそれは、劇場公開作品を一応の背景としていた。広い意味で、アニメがおおよその下敷きとなっていたのである。そして当座は・・・あのポケパークは、それで十分であった。だが。
2012-06-10 03:42:52そのポケパークの先に提示されたであろう、定置で継続的に運営されるポケモン遊園地を考えた時、ポケモンはより丈夫な「骨格」と「肉」をポケモンが用意できなければ、到底耐えられないと考える。
2012-06-10 03:47:19単に器を「創る」だけではない。そこに客を呼び、数々の「遊び」で楽しんでもらい、サービスで満足させ、物品を購入してもらう必要がある。しかも、それを継続するとなれば、ポケモンには、それに堪えられる創造力と発想力が必要とされる。
2012-06-10 03:50:16それをアニメとゲームは担保できるのか、保障できるのか、ということだ。もしアニメやゲームがそれを担保し得ないとなれば、ポケモンに遊園地の展開は無理という事になる。
2012-06-10 03:52:05であれば、「ポケモンという世界」に人を呼び込み惹きつける魅力、遊園地の楽しさを更新し続けられるだけの、幅広い発想力と創造力がなくば、あのポケパークから先はないという事になる。
2012-06-10 03:54:58またアニメやゲームが遊園地展開を支えられないのならば、誰がそれを支えるのか。誰がポケモンに、遊園地展開を可能とする骨格と肉を授けるのか。
2012-06-10 03:58:18あのポケパークは、2005年のポケパークは、確かに偉業であった。しかし同時に、ポケモンの限界も提示していた。ポケモンは軽薄だったのである。創造力と発想力において軽薄だったのである。
2012-06-10 04:00:04「そこにずっといたい」と感じてもらえるだけの、いつ来ても楽しいと感じてもらえるだけの、何度でも来てもらえるだけの、そのための創造力と発想力が、もしポケモンがこの先、もう一度ポケパークの鍵を開け、そして、その先を歩むつもりがあるのなら、必要とされるだろう。
2012-06-10 04:02:19そして、その創造力と発想力をもたらすものは誰か。私は少なくとも、ゲームではないと考えている。何よりゲームは、そしてアニメも、「手段」に過ぎないのである。ポケモンという世界を見せ、触れてもらう手段なのだ。
2012-06-10 04:04:12誰がポケモンの世界をつくるのか。誰がポケモンの世界の魅力をつくるのか。誰が。それにポケモンが気付けない内は、ポケパークの鍵は、ロケット団の面々が持ち続けていた方がいいだろう。今のポケモンに、ポケパークの門を再び開ける資格はない。
2012-06-10 04:07:35今のポケモンに、ポケパークの門を、再び開く資格はない。「誰がポケモンの世界に、魅力と、発想力と、創造力を与えるのか」に気付けない、知覚できないうちは。
2012-06-10 04:09:26以下6/11。ポケモングッズネタだけど、ちょっとだけポケモン遊園地ネタを含む。なお少々ニンジャアトモスフィアが混じっている。
ふと気になってポケモン映画公式サイト見てた。その際スタッフブログも閲覧したのだが、スタッフブログ記事中に画像が掲載されていた風船ケルディオを目にした感想が「フィーヒヒヒwww」だった。どういうことなの俺
2012-06-11 01:41:57ゲームもアニメも受け付けなくなって久しいが、これについてはどうしようもないわ。「おっきなケルディオ」が出たら間違いなく買いに走るLv。タカトミ仕事s(せいなるつるぎ)
2012-06-11 01:43:45しかし、乗用玩具にするにせよ、メリーゴーランドの木馬にするにせよ、ケルディオのアレンジが必要なところは、あの実際豊かなたてがみと、山羊めいて立派な角状のパーツ
2012-06-11 01:54:57