ヱヴァンゲリオン感想まとめ
ヱヴァQは作りがいろいろ粗いとか、何回も視聴する事を前提にしてるかのような作風とか色々突っ込みどころはあるが、破より好きなんだよな。
2012-12-23 11:24:51ヱヴァQをどう感じるかは、震災の影響や中身のツッコミどころを置いておくと、あの作品を貫く「自己責任の居心地の悪さ」をどう捉えるかに依るような気がする。
2012-12-23 15:32:11ヱヴァQの「自己責任の居心地の悪さ」は、ヱヴァ破の「自己決定の気持ちの良さ」と対になっているから、破に盛り上がった観客は一気に気分が落とされる。
2012-12-23 15:40:01エヴァンゲリオンって、すごく解りやすく言うと、ロボットに乗るのを否定することで少年が成長する物語で、母親が憑依するロボット=母胎という解りやすさがあって、ロボットに乗るのを否定することと、少年の成長がシンクロする点が優れていた。
2012-12-23 17:57:18更に、ロボットに乗らないための物語として、シンジ君が世界に絶望し、内面世界へ向かうプロセスが共感を得たと。物語の中で他のキャラクターは(擬似)家族であり、理想の自分でもあり。そして旧劇場版では、アスカだけが他人としてシンジ君の元に現れて終わる。
2012-12-23 18:28:04今回のヱヴァQでは、カヲル君の描かれ方が異なったことで、却って旧劇場版ラストからの繋がりを意識した。TV版ではシンジ君と世界との対立を描く以上、アスカ以外の各キャラクターはシンジ君の身体の延長線上にあるような、コントロールできる存在として描かれる。
2012-12-23 18:40:45続き。TV版でのカヲル君は理想のシンジ像として現われ、シンジはカヲル君を握りつぶすことで世界へ絶望する、シンジ君のためにいる存在として現われる。しかし、旧劇場版ラストを経た新劇場版では、他のキャラクターは、かけがえのない他人として描かれる。それを象徴していたのがヱヴァ破。
2012-12-23 20:27:49シンジ君の身体の延長ではない新キャラのマリ姉、母親の代理ではない独立した個性をもつ綾波レイ。そしてシンジ君は、かけがえのないレイを救うためにヱヴァに乗る。こうした価値観の延長線上にあるヱヴァQでは、カヲル君は理想のシンジ像でありながら、独立した存在として現われる。
2012-12-23 20:31:23ヱヴァQでのアヤナミレイは破の綾波レイとは違う存在として描かれるため、喪失の痛みが強化される。そしてQのカヲル君は、シンジ君の傍らにいて、シンジ君の自己決定の痛みを引き受ける。新劇場版での「世界」は、かけがえのない他人がいるという点で、TV~旧劇場版の「世界」とは異なる。
2012-12-23 20:36:21旧劇場版での世界の終りは、他人のいない内的な世界の実現として描かれるが、Qでの世界の終りは、かけがえのない他人の喪失という痛みを伴う。そしてそれが自分によって引き起こされることを理解することで、観客は居心地の悪さを感じてしまう。
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