童謡「さっちゃん」の2番の歌詞を深読みして考える

2番の歌詞は、深読みしたら深かった。
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田﨑尚文 @Naofumi_T

ただいまより、童謡「さっちゃん」の2番の歌詞を深読みすることから生じる考察について連投します。

2013-01-21 17:55:22
田﨑尚文 @Naofumi_T

2番。さっちゃんは小さいので、大好きなバナナを半分しか食べられない。この「食べられない」は、小さいゆえに一本食べきれないということなのか、それとも周囲の大人(恐らく親)から、小さいことを理由に食べる量を半分に制限されているということなのか。

2013-01-21 18:01:48
田﨑尚文 @Naofumi_T

続く歌詞が「かわいそうね」であることからすると、後者なのではないかと推測される。元々半分で満足(もしくは我慢)できる子に対して制限をするとは考えづらいので、まとめると「さっちゃんは大好きなバナナを思う存分食べたいけれど、親から制限されて半分しか食べられない」ということになる。

2013-01-21 18:06:53
田﨑尚文 @Naofumi_T

そこで考える。この歌詞はたださっちゃんの悲劇を語るに留まることとしていいのか、と。「何某は〜だから…できない」という物言いが他の場面でもあるのではないかと。「〜」に◯◯障害とか、◯◯病とか、◯◯症とかが入ったらどうか。ある理由のために周囲から行動を制限されるとは?

2013-01-21 18:16:37
田﨑尚文 @Naofumi_T

そう深読みすると、差別とはなんなのか、社会的バリアとはなんなのかとか考えさせるんじゃないかと思うわけで。さらに、「かわいそうね」という感想?も社会のあり様を示している。つまり、他人事として憐れむだけの社会。ただの同情。本当に必要なのは共感なのに。

2013-01-21 18:22:10
田﨑尚文 @Naofumi_T

まあ、そんな風に考えてみました。さっちゃんが小さくてバナナを半分しか食べられないのは仕方ないけど、ハンデを抱えた人がそのハンデゆえに周囲から制限を押し付けられる社会はなんとかしなくちゃいけないよなとまとめてみました。共感を礎に、インクルージョン社会を築きたいな。(おわり)

2013-01-21 18:26:33