#島家の伊賀
お詳しいですね!そうなんです、山と川に囲まれた、霧深い盆地の国でした #島家の伊賀 RT @motochika1539 霧が凄い
2013-02-10 22:43:00何度か行ってるからな(笑) RT @sakon_20000: お詳しいですね!そうなんです、山と川に囲まれた、霧深い盆地の国でした #島家の伊賀 RT ちか 霧が凄い
2013-02-10 22:44:18「そのとーり!順慶サマが天正12年……えーと1584年に亡くなって、定次サマが後継いで。その次の年に、それまで領国にしてた大和から、伊賀に国替えされたんスよ」 #島家の伊賀 RT @hashiuragaki (ΦωΦ)ノ はい、筒井家が領地移動?めいぜられて伊賀に…でしたか?
2013-02-10 22:47:23筒井は主君が代替わりしたばかり。しかも、基盤であった故国から引きはがされてしまった。 さらに移封先である伊賀はさきほどのような条件の、天然の要害のような国──都からの支配を容易に受け入れず、土豪たちが何十という砦を構えて、強い影響力を保持していました。 #島家の伊賀
2013-02-10 22:58:00そこで今からご紹介するのは、筒井家の歴戦をえがいた『和州諸将軍傳』という軍記より、そうした騒動の一つ。 天正13年3月、大和から伊賀へ移ったばかりの筒井家が、支配の手始めに一揆を鎮圧した折の話です。 #島家の伊賀
2013-02-10 23:05:10実は、ですね。実際に筒井家が伊賀へ移封されたのは、同年”8月”の話なのです。/「わぁい、半年ふらいんぐしてやがる!」/ やがる言うな。……つまり今一つ信憑性に乏しい「逸話」、「武功物語」のたぐいであることを、さきに御承知置き下さい。 #島家の伊賀
2013-02-10 23:07:48「まあ、時期の記述がずれただけー、って可能性も無いこたないッスけどね(笑) ムズカシーことは置いといて、お芝居見る的な気軽なカンジで、あんま表に出てこない”島左近”のえぴそーど見てきましょー!って聞いてもらえると嬉しッス!ヨロシク!」 #島家の伊賀
2013-02-10 23:10:38@motochika1539 「俺らは大和であるてーど馴染んでるッスけどねー」/ 朝霧で湿った衣服が冷やされるのは辛いですね
2013-02-10 23:13:17Σ( `・ι・´ )ゞ Σ( `・ラ・´ )ゞ RT @sima_tama 襖|。・ω・。) { しっす! #島家の伊賀
2013-02-10 23:15:24(…ってゆーか兄貴、実際こんなカンジの戦あったっけ) / (伊賀で幾度か戦ったのは覚えているんだが…どうだっけ。)/ ?( ._・) (・、. )? #島家の伊賀
2013-02-10 23:17:43【家中紹介】まずは順慶様の後を継ぎ、筒井家当主となられた筒井定次様。元は順慶様のいとこ、のちに養子となられました。 /「三成サマのちょい年下、親父からはやっぱ子供みたいな歳の主君ッスね。」 #島家の伊賀
2013-02-10 23:28:24【家中紹介】「定次サマはねー、ちょー頭良いし戦も強かったんスけど、酒と女とゴマ擦りに弱いトコあったカンジで。順慶サマの頃から仕えてた親父とか右近サンは”若!しっかりして下さい!”って態度になるし、家督継いだ後、ちょーっと気まずい状態になってたんスよね」 #島家の伊賀
2013-02-10 23:31:21【家中紹介:旧臣派】次に、順慶様の代から仕えた島、松倉、森。 当初は父・島左近、松倉右近殿、森好之殿で『筒井の三老』などと称されておりましたが、好之殿はこのとき既に亡く、嫡男の縫殿助(ぬいのすけ)好高が家督を次いでいました/「ほーでんすけ、じゃないッスよ!笑」 #島家の伊賀
2013-02-10 23:34:56【家中紹介:旧臣派】「それぷらす、親父の嫡男…つまり兄貴ッスね。新吉信勝と、右近サンの嫡男・九市郎重政が、今回の話で”旧臣派”として動くと思っといて下さいッス」 #島家の伊賀
2013-02-10 23:36:17「ちなみに親父も何度か話してますけど、この九市郎、”あの”松倉重政ッス。島原の乱とか、悪税暴君とか、きりしたん弾圧とか、そういうアレの」/ ……若かりし日の、少し印象の異なる九市のえぴそーどを、心の端にでも留めていただければ幸いです。 #島家の伊賀
2013-02-10 23:42:39