人と人が分かり合うのが無理な理由

誰かが「妥協」する事で人は「分かり合えた」と思うようにしています。
0

Twitterで他人のツイートに意見すると「そんなに深く考えなくても良いのではないでしょうか?」と書かれることがよくある。

逆に「その考えは浅はかすぎますね」とも言われることがある。

自分から見ると前者のような事を言う人は、「シンプル(単純)に考える事」と「浅はかに考える事」を一緒と考えていて境界線がわかっていない感じを受ける。

後者のような事を言う人は、「熟慮」と「複雑に考えすぎる事」を一緒と考えていて、境界線がわかっていない感じを受ける。
若しくはただ単純に勘違いをしているだけか。

当然、両者はそれぞれ違う意味だし違う事だ。

「バカと天才は紙一重」という言葉があるが、バカと天才を見分けれる事ができる人は100人いたら1人いるかどうかだ。

そう多くはない。

言葉も同じで、自分の「心の声」を言葉や文章で正確に表現できる人もそう多くはないと思う。

伝えている段階でどこかブレーキをかえてしまったり、伝えようと思いすぎて誇張表現になっていまったりしている人が多いと思う。

言葉にして伝えるという事はそれだけ難しい。

本当はナチュラル(自然)な気持ちで相手に思いや伝えたい事を言葉で伝えられれば良いのだが、今のこのような世の中では難しい。

騙され、利用され、裏切られ、人間不信になっている人が多く、ナチュラルに伝えることにどこか無意識のうちに疑心暗鬼になっている人が多いんだと思う。

話は戻るが、相手に自分お思いや考えを正確に伝えられる人が少ない上に受け取る側(聞く方)も正確に捉えれる人がとても少ない。

正確に相手に伝えれる人が100人に1人、正確に相手の思いを捉えれる人が100人に1人だとしたら両者共に「真実」を知ることができる確率は、10000分の1だ。

しかし人間というのは自分の心の奥底にある、自分の真の思いを自分で気づいている人間は、そうはいない。

そしてほとんどの人間は自分が思い考えていることを言わない。

何万人、何十万人何百万人に1人だと私は思う。

つまり、人間の思い他のの人間が理解する事はほぼ不可能だと私は思う。

しかし、それに近い事は、それ相応に起こりうる事だと思う。 全てではないけれど、真実に近いような感覚を感じる事ができる、というような感覚。

自分もそういう人間には今まで何人かに出会ってきた。

しかしそれすらも自分の思い込みや勘違いなのかもしれない。

極論を言うと、普段我々がしている、議論やディベート会話、といったものは全てたんなる「お喋り」だと私は思っている。

そして今、人間たちがしている事は、本来の人類の姿や思想から考えると、とんでもない事をしている、のかもしれない。

少なくとも私はそういう感覚を持ち続けたい。