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地井昭夫「漁師はなぜ、海を向いて住むのか?」 工作社HP http://t.co/5OrthlvWIh http://t.co/Qfiq1uyIYx
2013-02-27 17:48:28地井昭夫「漁師はなぜ、海を向いて住むのか?」 重村力さんによる書評(pdf) http://t.co/WLRSQkq79m
2013-02-27 17:49:28(重村さんは編者の一人だから、書評と言うより、いきさつを含めた紹介です。)
地井昭夫「漁師はなぜ、海を向いて住むのか?」(工作社、2012年6月)は、2006年に没した漁村計画研究者の生涯の仕事をまとめた遺稿集。 東日本大震災の漁村復旧計画に携わる人に読まれるべき本だと思うけど、集落論とは無関係に土木設計・区画整理事業が進んでいるのだろうな…。(続く
2013-02-26 16:24:37続き)「奥尻を訪れ町の発行した災害関係のパンフレットを見てショックを受けた。そのパンフには〈天災は覚えていてもやってくる〉と記されていたからである。」(同書p.181) これ→ http://t.co/LAYmyJkYVY 記録→ http://t.co/Uxk38Zfswh
2013-02-26 16:28:08続き)「漁村のように高密度に居住する集落環境は(中略)必ずしも高密度であるが故に危険であるとは言えない。 阪神大震災における淡路島旧北淡町室津では、604世帯のうち247棟の住家が全半壊したが、死者ゼロ火事ゼロであった。」(同書p.297)
2013-02-26 16:33:48続き)「集落の災害復興に際して、集落社会を支えてきた空間の特質を継承しないと本当の復興にならないと言う地井の考えはいまそれを強調する必要がある。」(同書p.297)
2013-02-26 16:35:35続き)それにしても、1933(昭和8)年の三陸津波で高台移転した後、「しかし漁民の津波に対する恐怖感は、そう長くは残らなかった。そこでついに危険を犯して、旧地に復帰するものが徐々にでき、旧態を再現するのに10年の歳月は要しなかったのである」(同書p.176)というのは示唆に富む。
2013-02-26 16:41:20続き)「旧地に復帰した復帰した三陸漁村では、1960(昭和35)年のチリ津波によって再び大きな被害を被ることになったのである。」(同) のは承知の通り。その後漁村の防浪計画は<防波堤主義>となり、今回は再び高台移転に移行しようとしているわけだが、(続く
2013-02-26 16:47:11続き)そこには、地井さんの研究したきた「集落空間の固有性や意味」が十分に理解されているどころか、ほとんど一顧だにもされていないだろう。 (とりあえずおわり)
2013-02-26 16:50:16@EXSKF まぁしかし、漁業という産業をどうするのか、という問題も相まって、非常に難しいですよね。 「現場へ行って見ると、<漁港整備=高齢者の出漁準備の場の整備>という図式が見事に成立していた」(p.233) なんていう記述も。
2013-02-26 17:06:13@Kontan_Bigcat 震災後、低地の漁村が高台移転の計画、と聞いた時に、私は単純に、高台に移って海から遠くなったら、津波が来たとき簡単に船が出せなくなるだろうし漁師さんの海の感覚がなくなるのではないか、と思いました。
2013-02-26 17:32:44@EXSKF 本当に「1000年に一度」くらいの事象だとすれば、避難場所さえ確保できるなら低地でも住む、という議論もあるのでしょうけれど、誰もそんな決断はできないので、高台移転に向けて事業は走っていますね。しかし低地の利用法があまりなくて困っているという話は聞きます。
2013-02-26 18:04:04@Kontan_Bigcat @EXSKF また、高台移転で高齢者の漁業への参加が難しくなるのかどうか…、このあたりの実際的なことは、私には良くわかりません。
2013-02-26 18:05:27(追記)
@SatoshiMasutani @shanghai_ii 最後に余計な付け足しをしたので誤解を招いてしまったかも知れませんが、地井さんの研究というのは、単純な機能性の話ではなく、歴史的・社会的に作られてきたコミュニティーを支える漁村集落の構造についての研究です。
2013-02-27 19:43:50