- saaya_goda
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長石監督ご逝去の報に触れ寂しく悲しい思いでいっぱいです。戦隊・ライダーで監督同士として、とても良い作品上での語り合いをさせていただきました。優しい眼差しが捉えた美しい映像の数々は戦隊・ライダーにとって永遠の財産です。お疲れ様でした。
2013-04-03 20:37:48東映から公式の発表があり、私が書きました。まだ68歳、残念です。/朝日新聞デジタル:長石多可男さん死去 「仮面ライダー」など監督 http://t.co/yPAJXlUdgv
2013-04-03 20:43:26調べたら「チェンジマン」は昭和60年、なら私が長石監督に始めてお目にかかったのは十九歳から二十歳になる頃だったことになります。最初は宇宙船の記者として、また「イナズマンF」のファンコレにご協力いただき、塚田監督や加藤PDもご紹介いただきました。ゴールデン街も多分初めては監督とです
2013-04-03 21:40:15私が脚本志望であることを知り、熱心にプロットを見ていただきました。特に「フラッシュマン」のときは新しいライターさんを迎えるという方針が決まっていたので、随分お世話になったのですが、結局うまくいかず「井上って若いのとやることになったよ、知ってる?」ということに。
2013-04-03 21:42:15結果的にそれから二十年以上経ってやっと「剣」で脚本と監督として再会することができました。しかし私にとって長石監督は仕事仲間などというのはおこがましく、いつまでも特撮ファンの小僧の話をまともに聞いてくれ、そして美しい映像によって東映のTV特撮シリーズを蘇生させた、絶対的な存在です
2013-04-03 21:44:47当時ともすれば「作家」の円谷に対して、「職人」の東映として語るしかなかった特撮ファンに対して、長石監督の情熱的な言葉はその思い入れを氷解させ、作品へのマニアックな思い入れを肯定してくれるものでした。今もあの優しい顔が目に浮かびます。本当に残念です。もう一度お話したかった
2013-04-03 21:51:31私が云うまでもなく、「イソギンジャガー」に始まる石森章太郎監督回は、長石監督が助監督として支えたものでした。しかし私があの映像美を、長石さんの功績として誉めると、監督は即座に否定され「石森さんは凄い、俺はちょっと手伝っただけだ」と云われたものでした
2013-04-03 21:55:02助監督を務められたTV「人間の証明」についてうかがったことがあります。あの作品は脚本が遅れに遅れたとことで知られています。長石監督は「それでもあれだけの脚本のためなら、待った甲斐があるんだよ」と。私は「お前はそういうホンをまだ書けてない」と云われたように感じ、今でも忘れられません
2013-04-03 21:59:31なぜか最後に長石監督とお会いしたときのことが思い出せません。当然ホン打ちの場であったはずですが、あの脚本について監督がどんな反応をされていたのか、どうしても思い出せないのです。無念です
2013-04-03 22:04:49「イソギンジャガー」の石森章太郎監督回。平山Pは海岸の見事な大波の場面を絶賛した。石ノ森は偶然撮れた大波に「運も実力の内かな」と笑った。しかし長石監督は、後年私にそんなに珍しい波でもなかったよと教えてくれた…。
2013-04-03 22:16:10イソギンジャガー撮影後、旅館で石ノ森先生と長石監督は同室となった。そこでも先生はマンガ原稿を描いていた。アシスタントもやってきて、背景のチェックを受けたりしていた。その忙しさに監督は驚いたそうだ。その部屋で交した会話からマンガになった作品もあった。「胎児の世紀」という作品だった。
2013-04-03 22:24:11映画監督 長石多可男さん死去 http://t.co/uUoMmSMBFY 龍騎の時お世話になりました。心からご冥福をお祈り申し上げます。
2013-04-03 23:46:31報道されている故・長石監督の功績に付け足したい事があります。仮面ライダー史上最大の分岐点だった、本郷猛=藤岡弘、氏の負傷という難局に助監督という立場で直面し、チームとしてそれを乗り切り、戦隊シリーズにおいては中興の祖として名作品群を残された監督。両シリーズの大恩人です。
2013-04-04 09:33:57散る桜の中を歩いて、長石監督の元気なお姿に会えない事に悲しみがこみ上げます。ですがもっと親しかった、恐らくもっと辛い思いをしている監督さんたちによって今日もカメラは回っています。それが撮影所です。田崎も稽古場に行きます。「カメラを止めるな」というご遺志だったのかな、と思います。
2013-04-04 09:41:53藤岡弘さんが事故で出演できなくなったとき、急遽助監督たちによる脚本コンペが行われ、本郷猛が出ないで済むエピソードを作ることになりました。採用されたのが長石さんの「ゲバコンドル」。塚田監督がそのとき書いた脚本も、後に改稿して映像化されています(ピラザウルスだったかな
2013-04-04 09:48:28