神亡きエヴァ世界の狂戦士たち-Go Berserk-

エヴァの世界観における「神」について、如何様にも捉えることのできるうちのひとつの見方です。
狂戦士 エヴァ オーディン ネタ ナルシシズム ベルセルク ニーチェ 神は死んだ フロム
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アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
エヴァの話になったのでついでに。あの世界観に「神」を持ち込むのだとしたら、如何様にも説明できる。ニーチェ的に「神は死んだ」とも説明できるし、グノーシス的に「暇な神」を置いてそれはこの世の出来事には全く関知しない存在であるということもできるし、そもそも庵野秀明がデミウルゴスだとも。
死んでる... @bzzzzzzzzzzz_
@Abraxas_Aeon 全くもって如何様にも、ですね。当時自分は凄く濃密な日本的なもの、カミをエヴァに感じてました。コンクリートに浸みいる蝉の声、電柱の水墨画的無常、子供時分分らなかった巨人=ウルトラマンの価値、意識下における西洋的イメージの日本的深層への激烈な変換の露呈、と
KONDO Mitsuhiro 近藤光博 @mittsko
とても深いところでとらえられた「日本的なもの、カミ」! RT @bbiizzeenn: @Abraxas_Aeon 全くもって如何様にも、ですね。当時自分は凄く濃密な日本的なもの、カミをエヴァに感じてました[…]
死んでる... @bzzzzzzzzzzz_
@mittsko ライブで見られたのは本当に貴重でした。新しい知覚、フレーム、葛藤etcと同時にそれらを解くテキストの緻密な同梱と、映し出される物の象りの全てに詩性が宿っているという確信が想像力を無尽蔵に引き出す、そのライブ。今も感謝尽きせぬところです。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
昨日話したエヴァネタの「神は死んだ」の話に北欧神話のオーディンとベルセルクをかけて説く。オーディンが死んだ後も、ベルセルクは自動殺戮機械的人間として活動を続ける。ディオニュソス野蛮人的に。エヴァの世界ではどの立場のキャラが神を論おうが「神は死んでいる」。誰も彼もがバーサーカー。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
預言者の教えの中心問題である偶像崇拝に対する闘いは、同時にナルシシズムに対する闘いでもある。偶像崇拝の場合は、人間の能力の一部が絶対化され偶像化される。それゆえ人間は疎外された形で自己を崇拝する。(エーリッヒ・フロム)
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
彼が心酔するその偶像は、彼のナルシスティックな熱情の対象となり、それに反して「神」という考えはナルチシズムの否定となる。それは人間ではなく、神だけが全知全能の存在だからである。(エーリッヒ・フロム)
ㅤ❑開放から素晴らしくシャープでボケも非常に東芝 @MUMUMU4yyk
@Abraxas_Aeon 暴力ゲームのタイトルにまでなったけど、もとから俗語で発狂して殺人事件を起こす・またはブチ切れるという意味なんですw
7 @object_7
@Abraxas_Aeon 昨日の話なのですが、ゲンドウがレイに裏切られた後、初号機に食べられるのってどう解釈したらいいのでしょう? やはりこれもユイの意志と見做していいのでしょうかね。
ㅤ❑開放から素晴らしくシャープでボケも非常に東芝 @MUMUMU4yyk
@Abraxas_Aeon ツイッターでpostするのポストで元が郵便局員が起こした事件ということで超不名誉。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
@objectif_49 まあいろんな見方ができると思いますけど、「トーテムの晩餐」とか。大母による去勢とか・・・。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
さっきのフロムの言及をエヴァに照らし合わせてみれば、「偶像崇拝をしている人間」というのが、あからさまにゲンドウであるということが分かる。この偶像崇拝の対象となる偶像とは、すなわちゲンドウが心酔するユイの魂が座している初号機である。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
ゲンドウはまさしく、己のみが絶対であり、疎外された形で自己を崇拝している。そしてその初号機に残っているユイに対する執着は、まさしくゲンドウのナルチスティックな熱情であり、本当の意味での「神」という概念はそのナルチシズムの否定となるので、邪魔なのだ。
7 @object_7
@Abraxas_Aeon トーテムの晩餐、太母による去勢・・・初めて聞きました。これらの言葉の元ネタは何でしょう?
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
ゲンドウ「我らの願いを妨げるロンギヌスの槍は既に無いのだ」→ロンギヌスの槍を「神槍」とし、その槍の行動を自律的なものと見るならば、明らかにゲンドウにとっては、その存在自体が自身のナルシシズムを否定するものであり、彼の願いを邪魔するもの、という解釈ができる。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
@objectif_49 「トーテムの晩餐」はフロイトネタで、「父を食うと言う行為の裏に、それによって息子達が父と一体化し、父が具現する力を、我が物としたいと言う願いが込められている」と説明されています。
7 @object_7
@Abraxas_Aeon ありがとうございます。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
@objectif_49 「大母による去勢」はユングネタです。こっちについてはユング関連のトゥギャリにいれてあります。まあ簡単にいえば頭をまるかじりにする(頭を落す)というのは、去勢行為に同じで、もはや創造的個人としての可能性を摘み取られてしまう。あの場合即死ですけど…。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
「定義しがたく、表現不可能な神に関する概念は、偶像崇拝とナルチシズムに対する否定ではあったが、神はやがて再び偶像となり、人間はナルチスティックに神と自己とを同一視し、こうして神の概念の元来の働きとまったく矛盾して、宗教は集団ナルチシズムの形で現れるようになった。」(E・フロム)
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
ゲンドウに対してゼーレはというと、この集団的ナルシシズムに関するフロムの説明が該当する。「我々に具象化された神は不要」というそれは、ゲンドウの初号機崇拝と個人的なナルチシズムに対する否定ではあるが、ゼーレのメンバーにおいてさえ「神という概念そのもの」が捻じ曲げられて定着している。
アブラクサス・アイオーン @Abraxas_Aeon
「神も人も死を持ってひとつとなる」と、神との合一を果たそうとしているゼーレは、まさしく神と自己とを同一視した集団ナルシシズムの団体である。要するにどちらも自分の思い通りにことを運ぼうとしている、という点で、単に主導権争いをしているにすぎない。
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