スパッツと縞パンと短パンとズボンとパンツ
@ishiya はい、イシデル先生。私は、深層的な縞パン願望あっての「敢えて」スパッツというところに萌えがあると考えます。集合的な縞パンも、(当初)無個性な、集合体としてのシスターズの象徴としてのアンジッヒであるとともに、動物的にオイシイところは、戦略的価値が高いと思います。
2010-09-13 14:25:23@97shiki_ChiHa 君おもしろいね。名前と学籍番号は?縞ぱんへの深層的な願望があってのスパッツ萌えになるのはわかりますが、スパッツの中身は箱を開くまでわからないのではないでしょうか。それが科学側の反論です。
2010-09-13 14:48:46スパッツの中身は脱がすまでわからない。履いているかもしれないし、履いてないかもしれない。縞ぱんかもしれないし、パンツじゃないかもしれない。見えないパンツの可能性を妄想することを人は「自由」と呼ぶのだろう。
2010-09-13 14:54:15@Marupo_n_ スパッツの中身は無限大なのです。ここで面白いのは縞ぱん(クローン)がスパッツ(オリジナル)の中身の妄想を掻き立てることなのですよ!
2010-09-13 15:19:12@ishiya メイドスキー先生もご推薦の http://ow.ly/2C59t が、何故にかくも購買意欲を刺激するのか、イシデル先生の解説で理解できた気がします。素晴らしいビジネスモデルです!
2010-09-13 15:25:03@ishiya 「ぱんつというテーゼと、スパッツというアンチテーゼによって、僕たちの心はアウフヘーベンするのです」(たまごまご「ぱんつへのアンチテーゼ「スパッツ」」(『「ぱんつ」大全』インフォレスト、2009年所収)、p.87)
2010-09-13 15:41:00@kaenju 文中もう少し直截な表現もあるのですが自重しました・・・ちなみに私が想起したのはエイラとかサーニャの「ズボン」でしたがw、その理解力は斜め上ですね!
2010-09-13 20:36:00@Kyohjin_Kyohjin 私には、あの「ズボン」は、「ズボンをパンツと呼ぶことができるなら、パンツをズボンと呼ぶのも可であろう」という言語的な命題を想起させます。w
2010-09-13 20:47:51@kaenju まさにあの作品においては、ポスト構造主義の時代におけるシニフィアンとシニフィエの関係の意図的な混淆にかかる挑発的な戦略があるわけですよ!w
2010-09-13 20:55:01@Kyohjin_Kyohjin こういう営為に身を染めることをシンボリックに「⑨割方馬鹿話」と言うのだろうな、という自己言及をしてみようw
2010-09-13 21:00:27ああいかん、もう全然仕事にならん・・・締切間際に『あずまんが』(←大王じゃないほうね)とか読破してしまう気持ちがよくわかるw
2010-09-13 21:27:12