薬師寺執事 大谷徹奘 『「修」しながら「行」むから修行という』読書メモ

この読書メモは薬師寺執事の大谷徹奘さんが、今までの体験をもとに書き記した説法本の一部をまとめたものです。がむしゃらに生きてきた大谷さんを立ち止まらせたのは東日本大震災の悲惨な風景と被災者の思いでした。30年も修行した薬師寺僧侶が何故悩むことになったのでしょうか。日本仏教と僧侶の在り方が問われると思います。
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Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

奈良薬師寺執事の大谷徹奘氏は平成23年3月10日東京江東区にある実家の寺で法話を行っていた。 3月10日は特別な日であり昭和20年の大空襲で8万人以上が犠牲となった。大谷氏の父は空襲で孤児となり寺も全焼した。 http://t.co/avO1tpmxXQ

2013-05-30 00:59:27
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大谷氏は17歳で薬師寺に入ったが、父の死後、毎年3月10日は東京で法要に出席している。3月11日午後2時46分、多くの人々の運命を狂わせた大震災が発生した。大谷氏は、広島県福山市で法話を行っている時だった。法話を終え、事務室のテレビを視たとたん愕然とする。

2013-05-30 01:15:56
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仙台空港で飛行機が流され、次から次へと悲惨な映像が飛び込んできたのだ。大谷氏が副住職を兼務する茨城県潮来市の潮音寺から悲鳴に近い声で携帯に留守電が入っていた。その時、大谷氏は、この未曾有の大惨事を実感できず、心の中で「関東にいなくてよかった」と思ってしまったのである。

2013-05-30 01:27:01
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福山市にいた大谷氏は、兄から「実家の寺は大丈夫」と聞いていた。大谷氏の心は潮音寺にあった。一刻も早く潮来市へと思い、東京の実家までは行けたが、そこから潮来市へはなかなか進めない。電車は止まり、高速は封鎖され、一般道も通行止めが多く、迂回せざるを得ない。

2013-05-30 17:57:16
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通常なら1時間半で行けるところを7時間半かかり、やっと潮来の街に入った。あたりは既に暗くなっていたが、ヘッドライトに照らし出されるわずかな景色から変わり果てた風景が想像できた。潮音寺では液状化現状で地面は沼地のようになり、塀は倒壊、門は水没、境内のお堂は全て傾いていた。

2013-05-30 18:10:05
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大谷氏が潮音寺の復興を命じられたのは平成16年。着任以来、自分の持てる力を精一杯使い、多くの方々の助けを借り、平成22年9月にようやく復興を終えたばかりだ。市外からも大勢の参拝者が訪れ町の復興の役にも立てると思っていた矢先だった。

2013-05-30 18:24:37
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寺というのは祈りの場だけでなく、縁日などの行事で、大勢の人が集まる公共施設である。寺の様子を見に来た人に2次災害があってはならない。大谷氏は潮音寺の一時的閉鎖を決断した。寺の閉鎖を縁のある方々に手紙で報告すると、激励の電話や手紙が次々と届く。

2013-05-30 19:57:16
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しかも被災から2ヶ月ほどで、約2千万もの義援金が送られてきたのである。大谷氏は皆の心遣いに触れ、これまで自分がやってきたことの意味を知ることとなる。潮音寺復興の夢は大谷氏1人のものではなかった。「全国の皆さんが応援してくれる」自分1人で苦しまなくてよい。大谷氏の心は晴れた。

2013-05-30 20:31:05
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潮音寺の復旧作業が進むにつれ、大谷氏は「今、自分がしなければならないことは何だろうか」と考えるようになる。大谷氏の気持ちは次第に東北被災地へと向かっていたのだ。4月9日、大谷氏は初めて被災の大きかった石巻に入った。震災から1ヶ月近く経っていた。

2013-05-30 23:21:45
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石巻の復興は殆ど進んでおらず、余震も続き、町の人たちは避難所で不安な日々を過ごしていた。行方不明者の捜索、遺体の身元確認が続けられ、仮安置所には家族を探す多くの人たちがいた。街を見渡せる丘に登ると石巻は津波で何もかも破壊され、津波で流れてきた車が何台も積み重なっている。

2013-05-31 00:35:53
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どれだけの方が亡くなったのか。大谷氏は、その場で大地に額ずき亡くなった方々の思いが少しでも鎮まるように、お経をあげた。途中、涙が止まらなくなり、お経を唱えられなくなる。その時、大谷氏の心をよぎった言葉は「ここに生まれていなくてよかった」。

2013-05-31 00:51:18
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大谷氏は自分の心の奥底に、とんでもない思いが潜んでいることに気づいてしまったのである。一刻も早く被災地に赴きたいという気持ちで単身飛び込んできたが、宗教者としての強い思いとは全く違う言葉が浮かんのだ。「俺は嘘つきだ」。大谷氏は、もはや自分自身が見えなくなっていた。

2013-05-31 01:00:22
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「高田好胤和上のようになりたい」「説法師になりたい」、その一心で大谷氏は、がむしゃらに頑張ってきた。30年前の駆け出しの頃は法話会場に真っ先に入り準備をし、後片付けも全部自分でやった。上手く話せないこともあった。批判もされた。両親のもとを離れ、1人生きてきた修行時代。

2013-05-31 18:05:35
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「自分を救うのは自分だ」、辛いことも悲しいことも大谷氏は全て自分の肥やしだと思うようにしてきた。幸せとは何か、生きるとは何か、迷いとは何かを伝え、僧侶になって30余年、今では年間200回を超える法話をつとめるようになった。少しは世間の役に立っていると思っていたのだ。

2013-05-31 18:20:44
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しかし、大谷氏自身が経験したこともない、考えも及ばない風景に接した時、心をよぎった言葉「ここに生まれていなくてよかった」。ほんの一瞬でも「自分さえよければ」と思ってしまった事実が大谷氏の読経を止めたのである。

2013-05-31 18:35:54
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石巻から帰った後、大谷氏は「被災地で造られたお酒を飲んで、少しでも復興に貢献しよう」などと勝手なことを言って酒を飲むようになった。酒は潮音寺復興を命ぜられてから8年間やめていた。泥酔するものの2時間もすると目がさえ眠れなくなる。そんな常態が4ヶ月続いた。

2013-06-13 13:53:23
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「徹奘さん、うつ病の検査を受けてください」とまで言われたが、大谷氏は自分の異常さに全く気づいていなかった。潮音寺の今後や再建などの問題を抱えたまま1人悶々とした毎日を過ごすうちに8月になっていた。

2013-06-14 00:16:01
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毎年8月7日は東大寺の「お身拭い」が行われる。それまで何度も機会はあったものの、法話会などと重なり参拝は遠のいていた。しかし、このときは何故か不思議と日程調整ができ、早朝から東大寺に出向いた。

2013-06-14 00:31:59
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大谷氏にとって東大寺といえば公慶上人である。公慶上人は大仏殿再建のため、全国行脚し、20年という長い歳月をかけて広く庶民から寄付を集めた。そんな公慶上人の生き様に大谷氏は強く惹かれていた。

2013-06-14 00:43:41
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大谷氏が大仏殿の回廊を歩いていると柱の向こうに公慶上人が現れた。大谷氏は夢幻を見たのである。公慶上人は「何をそんなにいじけているのだ?受け入れなくてはならないものを受け入れなくて、そんなことで坊さんが勤まるのか!」と語りかけた。

2013-06-14 00:53:21
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大谷氏は公慶上人の言葉で、自分だけ悲劇の主人公になり、空回りして苦しんでいることに気づいた。ここで逃げ出しては今まで応援してくれた大勢の人達を裏切ることになる。大谷氏は何かにとりつかれたように何度も被災地を訪れるようになっていた。

2013-06-14 01:42:49
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大谷氏は多くの被災地を巡っていた。どこへ行っても見渡す限り、どこから手を着けたら良いか分からない惨状が続く。何度も大きな余震に見舞われるうちに、また大きな地震が起きて津波に襲われるかもしれない。大谷氏は不安を感じはじめた。

2013-06-14 23:52:48
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「ここには住めない」「ここから逃げ出したい」、そんなことを思っていたとき、大谷氏は南三陸町で被災した阿部忠彦氏と出逢う。阿部氏は「今後どうするのか」という問いに、「地震が起きてから津波が来るまでに住民が逃げられる街づくりをする」と答えた。

2013-06-15 00:09:54
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津波で家族や財産を奪われた人達も「この海のおかげで、これまで生きてこれた。だから海を決して恨まない」と、誰1人海に対して愚痴をこぼさない。しかし、一生懸命復興した潮音寺を地震でめちゃくちゃにされた大谷氏は心のどこかで大地を恨んだことは確かだ。

2013-06-15 00:20:35
Ayame⭐Aoi @BlueSweetFlag

南三陸町の人達は、海を恨まず撤退もしない。前をしっかり見据えて自分たちの足で歩き出そうとしている。大谷氏は被災地の人達を励ますどころか、反対に励まされていた。

2013-06-15 00:25:49