- gloriousbeater
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街というのは必要性があってそう発達してきたはずで、いきなり別の場所に新市街地を作ると言われても土地も足りないだろうし、市民にとってもきっと不便なはず。
2013-06-03 00:54:15そういうことって遠く離れたちにいると考えることがないから今回足を運んでみたのはいい経験だった。大阪平野だって大津波がきたら大阪市の中枢部分は概ね水に浸かると言われているから他人ごとではないなあ、と。
2013-06-03 00:57:35それと地震に対しては建物の耐震性を高めるなどすればある程度は人間の努力で被害を減らすことができるが津波には未だ有効な対策はない。来たら大自然の前になすすべもないわけでそこも復興計画を難しくしているなあ、と。
2013-06-03 01:00:22今日のツイートは宮城県南三陸町より。まだまだ山積みにされて残されているガレキとこの骨組みだけがポツンと残されています。 http://t.co/W198p9CBKX
2013-06-03 11:25:29ここに来るまでに見えた海はマリンブルーの優しい穏やかな海で見ているだけで癒されそうな海でした。とっても風光明媚でのどかなところです。それがこんなことになるなんて。
2013-06-03 11:34:10松島に着きました*\(^o^)/* 遊覧船は15時が最後かと思っていたら16時にもう一本あるらしい。それまで散歩。 http://t.co/isJv9KDCRL
2013-06-03 15:15:37@office_seiwa @divinejuice @Alare_A @suchizoidman @datemasao1 @george00 東北の工作員は手強いですからなあ( ;´Д`) そして頭の中でリピートされるアラレンの注文する時の声w
2013-06-03 18:43:25今回いくつか宮城沿岸の街を回っては見たのだけれど、一番心配なのは南三陸町だなあ。女川ももちろん大変なんだけど幸いにも町役場が高台にあって中枢機能は残っている。それに対して南三陸は中枢部分が根こそぎやられていて立ち直るのが一番難しいような気がした。
2013-06-03 23:11:33一方で景色として一番印象に残ったのは南三陸の海でした。あのブルーな海は南国の海とは違って、なんとも言えない優しさというか癒しというか、そういうものを感じました。あの海こそが南三陸町の命でありましょう。それだけに海と共に生きながら津波を防ぐ、という難しい課題が残ります。
2013-06-03 23:20:04震災のことを知るのに今更言っても遅いかなあ、と思って出かけてみたんですが全くそんなことはありませんでした。東北に行く機会があったら是非一度被災地を回って見られることをお勧めします。車がなくてもバスツアーなどもありますし、いろいろと知る手段はあります。
2013-06-03 23:31:49女川は女川で、これは工事現場のどまんなかに来たのか?と思うような、建物が何もなく、土埃とダンプカーが一杯という印象が強かったです。途中帰り際に女川高校のグラウンドに復興商店街がぎっしりとできているのを見かけたのも印象的でした。高校生はどうしてるんだろう?
2013-06-03 23:35:59街を立て直す、といっても気仙沼、南三陸、女川のいずれも繁華街の部分は津波でやられている。同じ所に街を作ってもそのままでは次の津波の影響を受けてしまう。高台に移すといっても高台に同じだけの面積の土地を確保するのは難しいし高台だと普段の生活が大変かもしれない。難しい問題。
2013-06-03 23:43:19@suchizoidman そこは気仙沼の人たちが今後どういう街を作っていくのか、というのは今回実際見たこともあって非常に楽しみでもあるんですよね。また何年か後に復旧した街を是非見てみたいと思います。その時はもちろんガッツリ買い物させて頂くつもり。
2013-06-04 00:10:33