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【親政・院政期間自慢大会】 白河院「43年のわしが一番長いぞ。そち達とはキャリアが違うのじゃ!」 鳥羽院「朕は27年じゃ!!」 後白河院「わしは23年じゃ」 二条帝「朕は7年…」 「それぞれの年数を足すと100じゃな。さしずめ朕は0といったところかの」 治天の君's「・・・」
2012-10-23 17:30:55尋ねつる 花のあたりに なりにけり 匂ふにしるし 春の山風【訳】探し求めていた花のあたりまで来たのだった。漂う気によって、はっきり分かる。春の山風は――。/これは忠通の邸での歌会にて、新築祝いに事寄せて詠んだ歌じゃ。
2012-10-23 19:30:50瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢わむとぞ思ふ【訳】川の流れが速いので、ひとつの川は岩にぶつかって二手に分かれてしまう。今の私たちはそんなふうに別れ別れになるが、川はわかれてもやがて最後には大海へとそそがれて一つになるように、最後には必ず会おうと思うのです。
2012-10-23 21:30:49重仁を次の東宮に立てるつもりであった朕は、後白河天皇の即位が決まった時心穏やかではいられなかった。そのころ力を得ておった院の側近、信西入道と摂政忠道がそろって雅仁を押したゆえさすがの朕も敵わなかったのじゃ。得子の強かな企みにくわえ、朕の院政はことごとく阻止されてしもうた。まじ無念
2012-10-23 22:31:15狩衣 袖の涙に やどる夜は 月も旅寝の 心ちこそすれ【訳】狩衣(かりごろも)の袖を涙に濡らして旅宿する夜は、月も私と一緒に旅寝している心地がするのだ。
2012-10-23 23:31:01恋ひ死なば 鳥ともなりて 君がすむ 宿の梢に ねぐらさだめむ【訳】恋い焦がれた果てに死んでしまったら、鳥にでもなって、あなたが住む家の梢にねぐらを定めよう。
2012-10-24 08:31:36“身を捨つる 人はまことに 捨つるかは 捨てぬ人こそ 捨つるなりけれ”…世捨て人の如き暮らしを強いられ、待つこと13年!やっと……やっと…面白う生きる機会が訪れようとしておるのじゃ!そちが…そちが朕の力にならずして何とする!!
2012-10-24 09:30:55父上が崩御なされたのは保元元年七月のこと。藤原摂関家、源氏、平氏ともに身内の中での対立が表面化しておった。我ら兄弟間の確執も決定的なものになり、清盛・信西・義朝・忠通らは雅仁に、頼長・為義・為朝・忠正らは朕に与し、平安時代の終章の幕開けとなる保元の乱が勃発したのじゃ。
2012-10-24 10:31:14朕に暗殺説があるのは知っているだろうか。正史では憤死(病死)になっているのだが、実は今でも地元坂出市では後白河帝の差し向けた刺客による暗殺だと語り継がれておるのじゃ。綾川方面へ逃れ、柳の木に登って身を隠したが、その姿が池の水面にうつり、ついに切られてしまったとかそうでないとか…。
2012-10-24 11:30:57