@jyumonji_aoさんの小説「いばらの」第1話
また、呼ばれた。同じ声。後ろからだ。誰か近づいてくる。くん付け。ということは、相手は知っている。日与彦が男だと。そもそも名前を呼ばれたわけだし。相手は日与彦の正体を知っている。逃げよう。それしかない。逃走だ。逃げるしかない。 #いばらの 01_25
2013-07-02 21:15:55駆けだそうとしたら、肩をつかまれた。「何も逃げることないでしょ、茨野くん?」そして、力ずくで振り向かされた。その瞬間、シャッター音がした。二人。 #いばらの 01_26
2013-07-02 21:16:09二人だ。二人いる。どっちも女だ。一人は日与彦の肩に手をかけていて、もう一人はデジタルカメラを構えている。写真。カメラで撮られた。「あ、」日与彦は必死に女の手を振りほどいた。「な、な、な、な、な、」 #いばらの 01_27
2013-07-02 21:16:28眩暈どころじゃない。目が回っている。地球が回っているのかもしれない。回っているに決まっているけど。今この瞬間も、地球は当然。「や、やめ、な、何を、ひ、ひ、人、人ちが、人違い、かと……、」 #いばらの 01_28
2013-07-02 21:16:47「それはないね。」日与彦の肩に手をかけたほうの女が、眼鏡の縁を指で押しあげてにやっと笑った。女はなぜか、寒い季節でもないのに手袋をつけている。「あたしたち、ずっときみをつけてきたし。」 #いばらの 01_29
2013-07-02 21:17:09「つ、つけ、て……?」「そ。家から出て、駅で電車に乗って、降りて、ビルに入っていって、その格好になって出てきて、ここまで歩いてきたでしょ? ちゃんと見てたから。」 #いばらの 01_30
2013-07-02 21:17:34「ごめんなさい……。」もう一人の髪が長い、量も多くて、ちょっともさっとした女が、すまなそうにデジタルカメラを示してみせた。「何枚か、撮っちゃってます。遠くからですけど。」「な、なんっ、なんっ、なんっ……、」 #いばらの 01_31
2013-07-02 21:17:54日与彦はしゃくりあげるような息をしながら、二人の女を交互に見た。ああ、何だろう。何だろうっていうか。ああ。この子たち、知ってる。知っている、というか。同じ。同じだ。 #いばらの 01_32
2013-07-02 21:18:15クラスが。同じクラスだ。名前は、眼鏡のほうは、篠井。手袋の人。言動は普通というか、とりたててなんということもないが、学校でもなぜかいつも手袋をつけていて、わりと目立っている。もっさいほうは、たしか、鍛治田だったか。 #いばらの 01_33
2013-07-02 21:18:36何でもいい。篠井だろうと鍛治田だろうとレボルタだろうとトラボルタだろうと何だろうと。日与彦はしゃがみこんだ。ばれた。ばれてしまった。最悪だ。終わった。終わりだ。何もかも、すべて。おしまいだ。 #いばらの 01_34
2013-07-02 21:18:51「……落ちこむに、決まってるじゃないですか……。」声が、震える。なんで敬語になっているのか。よくわからない。日与彦は両手で顔を覆った。「……落ちこみますよ、そりゃ……。」 #いばらの 01_36
2013-07-02 21:19:29「どうして?」「……いや、だって、僕の人生、終わりじゃないですか。もうまともに生きてけないじゃないですか。こんなの、落ちこみますよ、誰だって……、」「そーんなことないと思うけど?」「……え?」 #いばらの 01_37
2013-07-02 21:19:57日与彦は指と指の合間から、おそるおそる篠井を見上げた。篠井は唇をぺろりと舐めた。獲物を前にして舌舐めずりする、猫科の大型獣みたいに。「あたしと一緒にきてくれるなら、このことは秘密にしといてあげる。どう? そんなに悪くない話だと思うけど?」 #いばらの 01_38
2013-07-02 21:20:13