- sukemori_t
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【吾妻鏡】 関東の御家人、内挙を蒙らず、功無くして多く以て衛府・所司等の官を拝任す。各々 殊に奇怪の由、御下文を彼の輩の中に遣わさる。件の名字一紙に載せ、面々その不可 を注し加えらると。 下す 東国侍の内任官の輩中 →
2013-07-15 02:00:14本国に下向することを停止せしめ、各々在京し陣直公役に勤仕すべき事 副え下す 交名注文一通 右任官の習い、或いは上日の労を以て御給を賜い、或いは私物を以て朝家の御大事を償い、各々朝恩に浴す事なり。→
2013-07-15 02:00:35而るに東国の輩、徒に庄園の年貢を抑留し、国衙の官物を掠め取り、成功に募らず自由に拝任す。官途の陵遅すでにこれに在り。偏に任官を停止せしめば、成功の便無きものか。先官当職を云わず、任官の輩に於いては、永く城外の思いを停め、在京し陣役に勤仕せしむべし。→
2013-07-15 02:00:48すでに朝列に廁う。 何ぞ籠居せしむや。もし違い墨俣以東に下向せしめば、且つは各々本領を召され、且つはまた斬罪に申し行わしむべきの状、件の如し
2013-07-15 02:00:59以下は将軍によるボロカス評↓ 東国住人任官の輩の事 兵衛尉義廉→ 鎌倉殿は悪主なり。木曽は吉主なりと申して、父を始め親昵等を相具し、木曽殿に参らしむなんどと申て、鎌倉殿に祇候せば、終に落人となり給うと。処せられなんとて候しは、何に忘却せしむか。 \希有の悪兵衛の尉かな/
2013-07-15 02:01:12兵衛尉忠信→ 秀衡の郎等、衛府を拝任せしむ事、往昔より未だ有らず。涯分を計り、おられよかし。その気にてやらん。\これは猫にをつる/ 兵衛尉重経→ \御勘当は、ほぼ免されにき/然れば本領に帰府せしむべきの処、今は本領に付け申されざれかし。
2013-07-15 02:01:25渋谷馬允→父は在国なり。而るに平家に付き経廻せしむの間、木曽大勢を以て攻め入るの時、木曽に付いて留まる。また判官殿御入京の時、また落ち参る。度々の合戦に、心は甲にて有れば前々の御勘当を免じ召し仕わるべきの処、衛府して頸を斬られぬるはいかに。→
2013-07-15 02:02:12\能く用意して加治に語らい、頸玉に厚く巻金をすべきなり。 / 小河馬允→少々御勘当免じて、御糸惜しみ有るべきの由思し食すの処、色様吉からず。\何料の任官やらん/ 兵衛の尉基清→\目は鼠眼にて/、ただ候すべきの処、任官希有なり。 →
2013-07-15 02:02:19馬允有経→少々奴、木曽殿御勘当有るの処、少々免ぜしめ給いたらば、ただ候すべきに、\五位の馬允、未曾有の事なり/ 刑部丞友景→\音様しわがれて/、後鬢さまで刑部からなし 同男兵衛の尉景貞 合戦の時、心甲にて有る由聞こし食す。仍って御糸惜しみ有るべきの由思し食すの処、\任官希有なり/
2013-07-15 02:02:37兵衛尉景高→\悪気色して、本より白者と御覧ぜしに、任官誠に見苦し/ 馬允時経→\大虚言計りを能として/、えしらぬ官好みして、甲斐庄と云うを知らず。あわれ水駅の人かな。\悪馬細工して有れかし/ 兵衛尉季綱→御勘当すこし免して有るべき処、由無き任官かな。 馬允能忠→\同じ/
2013-07-15 02:02:54豊田兵衛尉→\色は白らかにして、顔は不覚気/なるものの、ただ候すべきに、任官 希有なり。また下総に於いて、度々召し有るに不参して、東国平らげられて後参る。\不覚か/ 兵衛尉政綱 兵衛尉忠綱 本領少々返し給うべきの処、任官して、今は相叶うべからず。\鳴呼の人かな/
2013-07-15 02:03:16縫殿助→\顔はふわふわとして/、希有の任官かな。 宮内丞舒国→大井の渡りに於いて、\声様誠に臆病気にて/、任官見苦しき事かな。 刑部の丞経俊→官を好み、その要用無き事か。\あわれ無益の事かな/→
2013-07-15 02:03:30この外の輩、その数多く拝任せしむと雖も、文武官の間、何官何職、分明知ろし食し及ばざるの故、委しく注文に載せられず。この外と雖も、永く城外の思いを停止せしむべきか。 →
2013-07-15 02:03:45右衛門尉友家 兵衛尉朝政→ 件の両人、鎮西に下向するの時、京に於いて拝任せしむ事、\駘馬の道草を喰らうが如し/同じく以て下向すべからざるの状件の如し。
2013-07-15 02:04:01@tomoe_nt もっと将軍をdisってくれるかと思ったら…。しかしKGがらみが結構めんどくさいということが世に知られたのは評価しますwwwwwwwww
2013-07-15 02:22:43《今日の出来事 旧暦7月14日》 [寿永元年/1182年] ・新田義重、源頼朝の勘気を被る 【吾妻鏡】 新田冠者義重主御気色を蒙る。これ彼の息女は、悪源太殿(武衛舎兄/頼朝兄)の後室なり。 →
2013-07-14 23:21:28而るに武衛(頼朝)、この間伏見冠者廣綱を以て、潛かに御艶書を通ぜらると雖も、更に御許容の気無きの間、直に父主に仰せらるるの処、義重元より事に於いて思慮を廻らすに依って、御台所の御後聞を憚り、俄に以て件の女子を師の六郎に嫁せしむが故なり。
2013-07-14 23:21:44