橘川幸夫氏の「滅びの朝 メディアの終わりに(1983年)」
ここでの「朝」と、近年、氏の深呼吸する言葉において登場する「朝」を比べて読みました。
・朝、起きる。言葉がはじまる。意識の労働開始。
・雨の日の朝は、自覚していない意識の状態としての心を眺めまわすこと。
・朝は感謝に満ちている。今朝も一日がはじめられる。
橘川幸夫(きつかわゆきお)
@metakit
1。滅びの朝(メディアの終わりに) これは1983年に書いたもの。1984年を意識してる。長いから、少しずつポストしていく。
2013-07-23 16:12:40
橘川幸夫(きつかわゆきお)
@metakit
●静かな窓ガラスを冷たい雫が一滴、景色を裂いていく。5日ぶりの入浴だ。誰に向かって語るのでもない一滴の雫が、赤い景色を、何度も見せてくれる。
2013-07-23 16:13:06
橘川幸夫(きつかわゆきお)
@metakit
●時は止まったままだ。時計を修理できるものは一人もいない。待つことの、誕生に似た責苦。時の暴力。それすらもなくなくな る。待つことの、臨終に似た歓喜。
2013-07-23 16:20:32
橘川幸夫(きつかわゆきお)
@metakit
●遠い景色のなかで色が死んでいく。遠い景色のなかで音が倒れた。やがて暗くなる。私たちの最後のエクスタシー。凝視めの結末。滅びていくもののひとつひとつの細胞を愛撫するかのよ うに炎。
2013-07-23 16:21:31
橘川幸夫(きつかわゆきお)
@metakit
●出しっぱなしの湯が、そろそろぬるくなってきた。ラジオも糸のきれた凧だ。他人の声が聞きたい。アルコールも切れた私の意識にアナログの思い切り激しいデータをたたきこんでくれ― 静かな水滴がさけび続けている。
2013-07-23 16:46:26
橘川幸夫(きつかわゆきお)
@metakit
●参加型メディアは、すべて私たちの遺書を伝えるために用意されたのだとは、5日前までは知らなかった。水滴の中に、私たちの、さまざまな世界と歴史が映し出された。
2013-07-23 16:46:44