風立ちぬ〜自己愛と商業性の結婚という悪夢
アニメ表現の優位性のひとつは、絵で描く=抽象化により、作品の世界観を観客との間で共有化させやすく、その世界観の中で、絵空事を描きやすい点にある。
2013-07-30 18:20:04「風立ちぬ」「おおかみこども」はともに、作品の世界観を我々が生きる現実に設定しているけど、その現実を都合のいいように操作する作家の意図を強く感じてしまう。
2013-07-30 18:20:33具体的には『おおかみこども』での児童相談所の描写(無断でドア開けて自治体から排除するような児童相談所の職員はいません!)や『風立ちぬ』での療養所の描写(隣の人と喋れよ!)等。
2013-07-30 18:21:22こうした意図はヒロインを主人公の想像の範囲に閉じ込める為にあり、その上でヒロインは無償の愛を、抑制的ではあるが肉感的な描写を交え、主人公に捧げ続ける。
2013-07-30 18:23:23メカ(あるいは戦争)も美少女(あるいは母親)も現実も想像の範囲に閉じ込められ、それが無根拠に承認される物語は、情報局のいない『未来世紀ブラジル』みたいなもの。想像は得てして苦い現実との対照において肯定されるが、物語のうえで現実を都合よく操作したら、想像の肯定に意味はなくなる。
2013-07-30 18:25:07風立ちぬの感想ってネットにいっぱい転がってるんだな…つうか細田監督が風立ちぬ絶賛してて…まぁ、恋愛ものとしては「おおかみこども」と「風立ちぬ」は同じヒロインの描き方してるから、そりゃそうだろうな、てかんじ。
2013-07-30 23:41:03映画を観て自分の考えに耽溺すると、他キャラの描き方を立論上排除しちゃったりするのは、映画の全体形成に視線が及ばない点で、質が低いものになってしまう。実際文書として書かれるものが映画の一部を切り取ったものにせよ。
2013-08-09 08:42:51例えば映画『おおかみこども』において、主人公の花はおおかみおとこ(彼)から/への思いに最後まで動機づけられて子育てをする訳だけど、その部分を考える場合、雨(弟)と雪(姉)の行く末迄を焦点に置かなければ、全うな批評にはならない。
2013-08-09 09:00:45雨は狼として生きる事を選びつつ花の生活(支配)圏で暮らし、雪は人として生きる事を選びつつ花の生活圏から離れるという両義性があって、「彼」と花との関係を縦軸に見据えながら、物語での描き方を検討していく事で、色々と浮かび上がってくるものがある。
2013-08-09 09:04:53僕が『おおかみこども』と『風立ちぬ』に批判的なのは、花や菜穂子という、無償且つ包括的に主人公(「彼」や堀越)を愛する存在=性愛を包括した母親、を描くために、物語を主人公に都合良く描く点にある。
2013-08-09 09:53:20『おおかみこども』『風立ちぬ』いずれの物語も、「彼」や堀越の父親は登場せず、父を殺し母を寝取るエディプス欲望が体現されている。小児的な自己愛が物語の中で描かれつつ、その自己愛に撞着する観客は肯定的に作品を評価しがち。僕は撞着しないので「くだらない」と思っています。
2013-08-09 10:00:23『おおかみこども』では「彼」の自己愛領域から逃れようとする雪を描くけど、作品を評価する男性観客のレビューでは、あまり雪の存在に触られれないという傾向がある。雪の物語は『ポニョ』を想起させるけど、オリラジ中田の「ポニョ×な人は風立ちぬ○」という意見はこの構図を示唆している。
2013-08-09 10:13:53『おおかみこども』『風立ちぬ』にせよ、こういう自己愛の図式を描くなら、堀越や花を物語のなかで殺したほうが美しくはなるし、『風立ちぬ』の改変前ラストは堀越の死を想起させたし『おおかみこども』のラストは、花が崖から落ちたら死ぬよねって思うけど、なんでこうなった?という疑問もある。
2013-08-09 10:18:21『風立ちぬ』は、堀越が菜穂子に「生きて」と言われる事で、堀越を過酷な今後の生に向かわせる、という意見も聞いたけど、あのラストだと、堀越のその後は夢の世界でカプローニとワイン飲み続ける人生だろうし、それ過酷か?とは思う。堀越が夢の世界を任意に呼び出せるか否か分からないにせよ。
2013-08-09 10:24:41商業上、エンタテインメントの物語は「勝利」+「(主人公たちの)生」が要請されがちだけど『おおかみこども』『風立ちぬ』では、勝利=「彼」(花)、堀越の夢の世界の勝利な訳で、両作品における自己愛と商業性のセット販売は僕にとっては悪夢的ではある…。
2013-08-09 10:53:19