20130817 #ETV 特集「届かぬ訴え~空襲被害者たちの戦後~」
まもなくOAです。ETV特集「届かぬ訴え~空襲被害者たちの戦後」。空襲で重い傷を負った「戦災障害者」は国からの救済もなく厳しい戦後を生きてきました。国家補償を求めて40年以上活動を続けてきた杉山千佐子さんと彼女が記録した貴重な映像を通じて描きます。Eテレ23時。
2013-08-17 22:55:28#ETV 特集「届かぬ訴え〜空襲被害者たちの戦後」2013年5月、空襲被害者らが国に補償を求めた裁判、最高裁で訴えが退けられた。慰霊祭に、名古屋から来た杉山千佐子さん97歳。名古屋空襲で左目を失った。41年前、たったひとりで全国の空襲被害者に呼びかけ、運動を始めた。
2013-08-17 23:02:11#ETV 特集。空襲で亡くなった人は推定30万人。生き延びるも障害を負った人のその後の調査は行われず。杉山さん、そうした空襲被害者を調査、映像による記録を撮ってきた。軍属の戦災障害者には補償がなされるも、一般の戦災障害者に、国は支援の手を差し伸べず。
2013-08-17 23:04:14#ETV 特集。杉山さん、名古屋のアパートで一人暮らし。年を経るごとに右目も徐々に見えなくなってきた。空襲で建物の下敷きになり、後頭部をうった影響で、左手に痛みとしびれが残る。元新聞記者の岩崎さんが訪ねる。当時、戦災障害者についてメディアが報じることはほとんどなかった。
2013-08-17 23:06:30#ETV 特集。岩崎さん、杉山さんとともに戦災障害者について世に訴えようとしてきた。杉山さんが借りている資料庫には、段ボール50箱分の記録があり、ふたりで整理を始めている。杉山さん、41年前に全国戦災障害者連絡会を立ち上げ。会報を出すも、なかなか世に広まらない。
2013-08-17 23:08:04#ETV 特集。杉山さんが1970年代から記録してきた、全国の戦災障害者の映像もある。一人ひとり説得し記録してきた。ナレーションも自ら担当。50人以上の声を集めた。
2013-08-17 23:09:30#ETV 特集。名古屋で空襲にあった松野和子さん。両足を奪われた。義足を装着し車椅子に。神戸市、三田きよ子さん。右上肢切断。市立授産所で市役所の制服を縫う。浜松市、高田夫妻。夫は義足。妻は左手を失う。
2013-08-17 23:12:57#ETV 特集。焼夷弾による火傷で苦しむ人の映像も。大阪、片山靖子さん。顔面ケロイド。手にも大火傷。しかし、体の機能に問題はないと、障害者手当を受けられず。顔の手術は、美容整形になると、補助はおりず。借金をして30回近く美容整形を試みるが、39歳で自死。
2013-08-17 23:14:37#ETV 特集。名古屋、清水冨貴子さん。腕に火傷の後。何度移植手術をしても治らない。夫も顔に火傷。差別を受け、長らく仕事につけなかった。戦後すぐ、二人の子供を道連れに一家心中をはかるが、我に返り警察に自首。その後杉山さんと出会い、署名活動に参加。
2013-08-17 23:16:18#ETV 特集。杉山さん、大正4年岐阜生まれ。女性も自立すべきと考え、17歳で名古屋大学の研究補助員に。25歳、太平洋戦争勃発、正しい戦争と信じていた。昭和20年3月24日、名古屋空襲。崩れた自宅の下敷きになる。当時国は、空襲時の心得の冊子を配っていた。
2013-08-17 23:18:56#ETV 特集。冊子では、勝手に逃げ出すなどの行為を慎むよう指示。防空壕よりも、すぐ消火にあたれる簡単な待避所を使うことが推奨される。焼夷弾の威力についても、当局は軽視。「精神力で叩き潰せ」「少しも危険はない」「案外消しやすい」「女子供でもつかめる」
2013-08-17 23:20:10#ETV 特集。名古屋空襲ではおよそ8000人が犠牲に。杉山さん、左目を失い、終戦を病院で迎えた。戦後、編み物教室の講師、化粧品セールスなどで生計を立てる。教員寮の寮母のとき、救済活動をするよう勧められた。昭和47年、全国戦災障害者連絡会を設置。
2013-08-17 23:21:57#ETV 特集。大阪。3月13日の空襲で4500人が犠牲に。伊賀孝子さん、母と弟を失い、顔や手に火傷。杉山さんと出会い、大阪の戦災傷害者の代表として、国会に陳情書を届け議員に働きかける。議員らと法案を作成し、戦時災害援護法の制定を目指す。軍人軍属と同様の援護を求める。
2013-08-17 23:24:50#ETV 特集。昭和48年から審議されるが、政府の姿勢は「一般国民は国との雇用関係がないので補償できない」提出のたび審議未了で廃案。昭和63年を最後に提出もなくなった。「国民たるものは等しく耐えて忍ぶべき、一般国民まで補償したら財政がもたない」との姿勢か。
2013-08-17 23:26:37#ETV 特集。昭和17年、戦時災害保護法。空襲で家を失ったら、住宅や家財への給与金が与えられる。しかし終戦後、GHQは戦争遂行にかかる法制度の撤廃を命令、そのため戦時災害保護法もなくなる。昭和26年主権回復。戦災傷害者の救済は日本政府に委ねられることに。
2013-08-17 23:27:58#ETV 特集。昭和27年、戦傷病者戦没者遺族等援護法成立。軍人軍属は国との雇用関係があったから、という理由で。昭和32年、原爆被爆者への健康診断が行われるように。あくまで放射能障害という特別な事情による。こうしたなか、杉山さんら空襲被害者らが声をあげ始めた。
2013-08-17 23:29:31#ETV 特集。しかし国は、一般国民である空襲被害者に手を差し伸べることはなかった。厚生大臣「一般社会保障の充実によって…」昭和56年、参議院社会労働委員会。杉山さんが参考人に。「命のあったものも地を這うように生き続けています」
2013-08-17 23:31:42#ETV 特集。「自分たちは社会から忘れられた存在なのか」仲間が次々と亡くなる。杉山さん、おなじ敗戦国のドイツが、一般市民の空襲被害者に対しても手厚く補償していると知る。平成元年、ドイツを訪ねる。各地の戦災傷害者を訪ね調査、会の冊子で結果を報告。
2013-08-17 23:33:15#ETV 特集。ドイツでは、戦災による障害の程度に応じた給付金が出されていた。医療費は全額国の負担。顔の火傷を大変重い障害をみなす。終戦直後から、一般市民の戦災傷害者の補償について、アデナウアー首相が動いていた。1950年、連邦援護法制定。軍人と同じように援護。
2013-08-17 23:34:52#ETV 特集。ドイツ、比較的被害の少ない企業から負担調整基金へ徴収し、この金額を配分する仕組みになっている。軍人、一般市民の区別なく。
2013-08-17 23:36:22#ETV 特集。今年6月18日、浜松で空襲被害者の慰霊祭。木津正男さん。杉山さんと国会請願に動いたメンバーのひとり。空襲で大きな怪我を負った。30回以上の空襲を受けた浜松、市街地の7割が焼けた。米軍機がトラブルで引き返すときに、爆弾を落としていく場所だった。
2013-08-17 23:37:45#ETV 特集。米軍の記録では「浜松はB29にとって、なじみの街」「爆弾を始末するゴミ溜め」木津さん、頭に傷が残り(いまはわからなくなった)、急な頭痛に苦しむように。空襲被害者が被災した場所や障害の程度など聞き取り調査。113人分の資料を市議会に提出し、補償を訴えた。
2013-08-17 23:39:52#ETV 特集。今年夏、杉山さんの足に帯状疱疹。自分ひとりでは起き上がれなくなった。あと2年あまりで100歳。会のメンバー、かつて800人ほどいたが、いまは50人ほど。岩崎さんに付き添われ病院へ行き、鎮痛剤を。
2013-08-17 23:41:52#ETV 特集。大阪、藤原まり子さん。防空壕で生まれて2時間後、焼夷弾が直撃。左足に大火傷。29歳で杉山さんに出会うまで、ひとりで苦しんできた。左足は変形し、スカートが履けない。悩んだ末、左足を切断。義足となった。結婚し、3人の子供を育てた。
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