ユマニチュード

研修会の感想です。
1
白石正明 @shiraishimas

先週の二日間、フランス発の認知症ケア技法「ユマニチュード」の研修に参加したが、これが面白かった。ケアという行為は一般的に「誰が」「何を」するかによって決まるが、技法と言った時には、後者の「何を」だけを焦点化している。つまり「こういうやり方をすれば、誰でもこれができます」と。

2013-08-25 21:29:24
白石正明 @shiraishimas

ユマニチュード2:しかし認知症高齢者当人は、人格と技術を分離させるという近代的思考システムを拒絶する。「あの人なら何をされてもいいが、この人にはいくら技術があってもイヤ」と。ここに、ケアがぐっと人格化してくる契機がある。

2013-08-25 21:30:06
白石正明 @shiraishimas

ユマニチュード3:特に(キュアに対する)ケアの独自性を言いたがる人たちは平気で「人間力」とか言ってしまいますよね。たぶんそのせいで、ケアに関する研修の多くは「何をやるか」ではなく「どう感じるか」にスライドしていって、自己啓発セミナー化してくる。

2013-08-25 21:31:05
白石正明 @shiraishimas

ユマニチュード4:ユマニチュードも「誰が」に注目しているが、そこが限りなく身体技術化されているところが興味深かった。「最初は感度の鈍い背中から触り、顔は最後にするように」とか。「手順が大事、いきなりはダメ」とか。はっきり言って、全体のノリがフランス式閨房術なんですね(笑)

2013-08-25 21:32:13
白石正明 @shiraishimas

ユマニチュード5:一言でいうと、対人関係における「身体接触技法」なのでしょう。このジャンルは、属人性を嫌うマニュアル文化から無視されただけでなく、性的なニュアンスを含んでしまうために、特に日本では教育することが避けられていた。だからある種のエアポケットだったのかも。

2013-08-25 21:33:32
白石正明 @shiraishimas

ユマニチュード6:つまり、「何を=技術=標準化」「誰が=才能=属人化」という二つに分割されていた世界に、「“誰が”を含みこんだ身体技術」で殴り込んできたフランス人という図式が成立する。ここでは技術がその人の魅力に転化して、「誰が」と「何を」が溶け合ってしまうような新しさがあった。

2013-08-25 21:36:09