引きこもりの心理2

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アドリア海 @keizi80

その後彼は幾たびか例の訓練を続行した。 効果は依然として感じられなかった。 先の見えなくなった彼は、ある日一計を案じた。 その日〔アルミ缶〕はタクシーを自宅前へ呼びつけると。 あの日行けなかった駅の名前を運転手につげ、座席へと飛び乗った。p27

2013-12-13 19:11:26
アドリア海 @keizi80

行き先を確定させてしまった以上、そう簡単に途中で降ろしてくれとは言えない。 己の対人恐怖症を逆手に取った策であった。 タクシーはあっという間に彼をこれまでにない遠方へと連れ去った。 彼にとっては1年ぶりとなる、外出といえる外出であった。 p28

2013-12-13 19:12:17
アドリア海 @keizi80

3キロほど走ったころだろうか。 〔アルミ缶〕は全身の血液が逆流していくような感覚に襲われた。 悪寒がし、目の前が真っ暗になり、シートベルトを握り締めながら彼は震えた。p29

2013-12-13 19:13:45
アドリア海 @keizi80

タクシーは赤信号につかまり停止した。 大通りの交差点で、青に切り替わるまでにやけに時間がかかった。 後部座席で〔アルミ缶〕は身をくねらせ、苦痛に耐え続けた。 空間にねじり殺されそうな気がした。p30

2013-12-13 19:14:42
アドリア海 @keizi80

バックミラー越しに、運転手が訝しげな視線をよこした。 それがもうとどめとなった。 運転手に何と言って降りたのか、運賃をきちんと払えたのか、〔アルミ缶〕は記憶できていない。 気がついたら彼は街をさ迷っていた。p31

2013-12-13 19:40:05
アドリア海 @keizi80

巨視的にはあくまで家の近所で、中学生時代に養った土地勘などあるゆえそこがどこなのか分からないわけではなかったが、 今の彼にとっては異次元に送り込まれたのと大差なかった。 p32

2013-12-13 19:51:37
アドリア海 @keizi80

未知行く人、通りを行きかう車がすべて違う星のモンスターのように見え、 自分自身は宇宙服も着れずに放り出された絶命寸前の飛行士のようにしか感じられず、 自分で自分を抱きかかえながら彼はよろよろ進んだ。 p33

2013-12-13 19:52:41
アドリア海 @keizi80

ともあれ、家に帰らなくてはならない。 どうしようかと思案をめぐらせた段階で、〔アルミ缶〕はタクシーから逃げ降りてしまったことを後悔した。 あのまま乗っていて単に引き返すよう運転手に頼むだけでよかったのだ。 もう一度別なタクシーを捕まえようかと通りに目を向けたが中々か見つからない。

2013-12-13 19:53:55
アドリア海 @keizi80

そうしているうちに〔アルミ缶〕は通行人の視線がすべて自分に向けられているような気がして仕方がなくなった。 人の目から逃れたい一心で、彼は策もなく裏路地へと逃げ込んだ。 どこか完全に身を隠すことのできる場所で、体力を回復させたかった。p35

2013-12-13 19:58:42
アドリア海 @keizi80

〔アルミ缶〕は住宅地を右に左に曲がり進んだ。 幸い人には出くわさなかったが、それでも彼は落ち着かなかった。 頭には絶えず自分の部屋が浮かんでいた。 ここ一年間ある意味檻と化し、彼を閉じ込め続けてきたあの場所が今はたまらなく恋しかった。p36

2013-12-13 19:59:37
アドリア海 @keizi80

空間が悪いのだろうと彼は思った。 あの部屋に今帰れないならば、代わりとなりえる空間、 彼を外敵から守り、彼だけが独占することのできる何らかのスペースが必要だった。 彼は当てもなく、血に飢えたゾンビのように進んだ。p37

2013-12-13 20:58:33
アドリア海 @keizi80

ある建造物が眼に入った。 木造住宅地の中にあって唯一レンガ製の建家で 道路に直接面した壁面には巨大な窓が埋め込まれている。p38

2013-12-14 11:30:53
アドリア海 @keizi80

また壁にはぼろぼろに錆びた大きなランタンが吊り下げられており 看板代わりなのだろうか? そのガラス部分には白い塗料で「・カウンセリングルーム」なる文字が書かれていた。 カウンセリングという文字に心惹かれるものがあった彼は、思わず内部を覗きこんだ。p39

2013-12-14 11:58:30
アドリア海 @keizi80

屋内は閑散としており、薄暗い、埃まみれのスペースに 家具か、あるいは何か機械の部品か、よくわからない金属片が大量に散乱している。 とてもカウンセリングルームという雰囲気ではない。 遠の昔に放棄された空き家と見てよさそうだった。p40

2013-12-14 12:06:11
アドリア海 @keizi80

雰囲気的には、以前彼が外出できたころ目にしていた、家の近くの自転車屋と似ている。 感覚的には、できれば近寄りたくない陰湿で禍々しい空気を身にまとった建物であった。 そこが、彼にはよかった。p41

2013-12-14 12:07:38
アドリア海 @keizi80

一つには、その壊れかけた空間が、今現在の彼の荒廃し果てた精神と共鳴していたし、 なによりかくのごとき辛気臭いスポットには、 誰もあえて近づこうとはしないだろうというほのかな期待が持てたからだ。 p42

2013-12-14 12:08:22
アドリア海 @keizi80

そしてどういうわけか、煉瓦壁の一番遠くに設けられた入り口と見られるドアは 風に煽られ揺らめきながら開いているのだ。 不法侵入に該当するかもしれないが。 廃屋となってはそうとやかく罪にも問われないだろう。p43

2013-12-14 12:14:17
アドリア海 @keizi80

何より一刻も早く安全な場所で落ち着きたかった 彼はあまり深く考えることもなく、吸い寄せられるかのようにその建物の中に入っていった。 p44

2013-12-14 12:14:53
アドリア海 @keizi80

内部は外から見るにもましてさらに雑然としていた。 堆積している各種の品はゴミと言ってよいもので、 半ば産業廃棄物の集積所と化していた。 空き家であるのをいいことに、どこかの業者が不法投棄を行っているのだろうかと 〔アルミ缶〕は考えた。p45

2013-12-14 12:25:41
アドリア海 @keizi80

〔アルミ缶〕はできるだけおくまで進んだ。 ガラクタの山の中からはところどころ先のとがった鉄骨のようなものが生えていたし、 薄暗いので注意が必要だった。 向かって奥に、外界からの光に照らされて、人の背ほどもある長方形の物体が浮かんでいた。p46

2013-12-14 12:32:22
アドリア海 @keizi80

近づいてみると、それはやはりさびにまみれた古い冷蔵庫であった。 〔アルミ缶〕はその背後に回りこみ、ひざを抱えて丸まった。 彼の存在はようやく外部から隔絶された。 彼は安堵のため息を漏らした。p47

2013-12-14 12:33:44
アドリア海 @keizi80

窓を通しては、うごめくいかなる物体の存在も確認できない。 時折遠方を通過する車の走行音が聞こえてくる程度だ。 彼は幼児のように意味もなく冷蔵庫の扉を開閉させた。 劣化した金属がきしむいやな音を立てつつそれは成すがまま弄ばれた。 冷蔵庫の中には錆以外のものは入っていなかった。p48

2013-12-14 12:39:08
アドリア海 @keizi80

期待するほうがおかしいのだが 〔アルミ缶〕は奇怪な失望感に見舞われた。 その後は得にすることもなく 〔アルミ缶〕は暗闇の中でぼうと時を過ごした。 途中携帯で時間を確認し、あと10分ほど休息してから帰宅へ向けて動き出そうと腹を決めた。p49

2013-12-14 12:40:09
アドリア海 @keizi80

やがて暗がりに目もなれた。 〔アルミ缶〕の横に人がいたので〔アルミ缶〕は口から心臓を吐き出しそうになった。 ガラクタの山から転がり落ちて背中をしたたかに打った。p50

2013-12-14 12:41:44
アドリア海 @keizi80

落ちた場所に負傷につながりうるような凶器が散乱していなかったことだけが不幸中の幸いだった。 今しがた目にした存在が人であってはならない。 〔アルミ缶〕は埃とながら錆で汚れた床に視線をさまよわせ震えた。 それはあらゆる意味でまずいことだった。p51

2013-12-14 12:44:12