- okura_mikura
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艦娘とは元々、艦内神社を依り代とした艦魂である。これは進水式と同時に生まれ、実体と成すものなり。生にして生非ず。故に艦が撃沈されてもその実体は喪われずに現世に漂白し続けるという特色を持つ。これの艦魂の特性に着目したのが旧海軍の海軍技術研究所 平戸分室であった。
2013-12-20 02:56:51平戸分室における研究主査、椋生平胤造機中佐らの研究により艦魂の安定的な定着をという難題を昭和13年までにほぼ大小の艦艇への実施を可能にたらしめた。この時点での艦魂=以後は艦娘と呼称。の超常力を持ちいた兵器の転用は基礎研究にすぎなかった。ともかく、艦娘たちはあらゆる艦艇へ行き渡った
2013-12-20 03:06:10開戦を迎えた艦娘たちに課せられた使命とはどのようなものであったのか?海軍霊装兵器研究会回想録によれば主に戦闘中の爆弾ならびに敵潜よりの魚雷に対する回避運動時の操艦への助言、被弾箇所の迅速な把握などが記されている。しかし、用兵側の思惑はもっと別の、より過酷な運命を要求していた。
2013-12-20 03:13:06艦娘達に課された過酷な、本当の目的とはその艦が乗員共々轟沈する事で意味を成すものであった。それは兵器でもなく、生存者の救助が目的でもない。撃沈までの艦娘が自らの体に刻んだ完全なる戦闘詳報の回収。これこそが用兵側が要求した艦娘への対価であったのだ。
2013-12-20 03:17:33それでは撃沈後の艦娘達はどうなったのであろうか?また彼女達の戦後についても言及する必要がある。艦を撃沈された艦娘は基本的に招魂式の形で召還される。召還後は海軍省人事局での戦闘詳報作成、艦政本部での兵装研究実施要領の作成などに終戦まで従事していたとされている。
2013-12-20 03:26:13終戦と同時に撃沈された艦娘達は軍需省より「霊装兵器ならびに艦魂の破却通達」が辛うじて撤回され、昭和20年9月29日付のGHQからの出頭命令により、米海軍の調査団に対しての戦闘詳報の口実筆記を求められた。生き残った艦娘の一部は復員輸送という新しい役割が与えられていた。
2013-12-20 03:35:57そうして、慌しい戦後の中で艦娘の管理をそのまま引き継いだ第二復員省による海外からの復員事業が戦後ある時期を境に厚生省に移管されたと、時を同じくして“戦後”を残した艦娘たちへ新たな、そして最終的な使命が遺されていた。
2013-12-20 03:41:26その最終的な使命こそ彼女達にとって辛く悲しい長い戦いの始まりでもあった。課せられた使命とは戦死した乗員遺族への彼らの最後の瞬間を伝える役割であった。これならば生存者の無い潜水艦であろうとも不死の艦娘ならばその役を担える。そう判断されたのだ。さらにはもう一つの使命がある。
2013-12-20 03:46:21生き残った乗員が死去された時、生前の魄の一部を、彼が最後に乗艦していた艦の組へ迷わずに行けるよう、黄泉路へ繋ぐ役割であった。それゆえ、艦娘は最後の乗員を見送るまで現世に留まり続けるのであった。その最後の一人が旅立たれるまで、あと何年が残されているのだろうか・・・艦娘達の戦後史、了
2013-12-20 03:52:06