海外艦といえば、wikipedia情報ですが、タイ海軍の「トンブリ級海防戦艦」は艦橋のデザインが古鷹・青葉型と似ていたそうです。造船所が神戸川崎なので加古・衣笠似と言うべきなのかも。ただし全長76.5メートルしかありませんが(古鷹青葉型は約185メートル)
2014-02-28 10:43:15通称“アジ歴“はしっているかなっ? 正式名称は国立公文書館アジア歴史資料センター(http://t.co/sHjBqPacYm)ねっ ここでは明治憲法をはじめとする史料を電子化して公開しているわ国立公文書館、外務省外交史料館、防衛省防衛研究所所所蔵のもみれるのっ
2014-02-28 11:11:09後、余弦さんが見た資料がわからないのだけれども、第四水雷戦隊戦時日誌(2)の14ページに衣笠が発した第一報と同様のことが書かれている
2014-02-28 17:11:22夏雲の乗組員を乗せたの、朝雲だと思ってたのだけど、第四水雷戦隊の誰か? 少し前に、有明、由良、秋月が出撃してるような記載があるけど
2014-02-28 17:30:57@chrisutabel 一部、ページの番号を間違えていたようです、すみません。 夏雲の乗組員を救助したのは朝雲だと思います。「昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 第4水雷戦隊戦時日誌(2)」の18p、第九駆逐隊から各方面に向けて「1427夏雲沈没我乗員を収容避退す」と
2014-02-28 18:22:22@chrisutabel 由良は川内等と共に行動し、輸送隊と合流していたようです。「昭和17年9月11日~昭和18年7月22日 軍艦日進戦闘詳報(2)」の14ページ、「0715 川内由良及駆逐艦五と会合」と記述があります
2014-02-28 18:23:18@cosA0202 すいません、日進の記録の方見逃していました。それと質問なのですが、次のページを見る限り駆逐隊のうち三隻は、天霧、白露、時雨でいいのでしょうか?
2014-02-28 18:53:19@chrisutabel そうだと思うのですが、「戦史叢書」では「天霧」ではなく「夕霧」となっているんですよね・・・。ちなみに同書では、残り2隻は第19駆逐隊の浦波、磯波とされています
2014-02-28 19:08:15@chrisutabel とすると「天霧」で間違いなさそうですねぇ・・・。「昭和17年9月14日~昭和18年8月15日 第8艦隊戦時日誌(2)」の9pに、「夕霧」は9月7日に「GF主隊に編入」という記述も見えますし
2014-02-28 19:37:07そういえば「夏雲」の沈没が1427、「叢雲」本多水雷長の証言ではその前に乗組員の殆どを僚艦に移乗させ、退避させているとのことなので、1030にショートランドに帰投している「初雪」にはやはり無理なのでは
2014-02-28 19:51:41「重巡洋艦戦記」の貴島参謀の証言を以前紹介しましたけど、「初雪」を「叢雲」「白雪」と二回も間違えていますからねぇ・・・。歳月の問題だとか、普段一緒に行動をしていなかったというのも大きそうではありますが
2014-02-28 19:59:49かと思えば駆逐艦同士、「叢雲」の本多水雷長の証言でも、サボ島沖海戦時に「初雪」がいなかった(青葉、古鷹、衣笠、吹雪、叢雲。叢雲は後に増速先行)なんて例もあります
2014-02-28 20:05:25