《風ノ旅ビト》過去の考察っぽいツイートまとめ

歌詞の意味、サントラのタイトル、邦題など、自分で考えたりフォロワーさんとお話したことなど
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植物園に行く @tommTycho

風ノ旅ビト二周年らしいので昔の考察もどきを再録

2014-03-15 03:14:37
植物園に行く @tommTycho

風ノ旅ビトのエンディング I was burn for thisの歌詞にある 「この道や 行く人もなし 秋の暮れ」、だけど、これは芭蕉が亡くなる一か月前に詠まれた俳句とされていて、この「この道」とは俳諧の道であり、俳諧に懸けた芭蕉の人生そのものだと解釈できるそうです。

2014-03-15 03:15:38
植物園に行く @tommTycho

秋の夕暮れの中に、行く人もない道がはるか遠くまで続いている という意味ですが、「この道や」というように、「や」という詠嘆の語があるせいで、ずっと続く道への視界が急に開けたような、あるいは歩いてきた道を振り返った瞬間の様な「動き」が感じられますね。物理的、あるいは思考的な「動き」が

2014-03-15 03:16:05
植物園に行く @tommTycho

俳句の解釈によると、「この道」は芭蕉が自分の俳諧を完成させるために歩んだ過酷で孤独な道であり、先人の歌人(西行など)が歩んだ芸術の道であったといいます。自分が切り開いた道でもあり先人の足跡をたどった険しい道であったと。死者たち以外の誰とも共有するとのない、芭蕉の道であったと。

2014-03-15 03:16:58
植物園に行く @tommTycho

この道は、誰かと思いを共有できる道ではない、自分だけの厳しく孤独な道で、立ち止まって歩いてきた道の先まで視界を広げてみても、そこには誰もいない、その寂寥感を暮れゆく秋の風景が表わしている。孤独感の象徴が秋の暮れ、という風景なのかな

2014-03-15 03:17:32
植物園に行く @tommTycho

「暮れゆく秋」、と言うのは深読みだけど、終わりゆく芭蕉の人生を表わしていたのかもしれない。芭蕉の俳諧の人生そのものの晩秋が「秋の暮れ」という意味で、この道や、という動きのある詠嘆は、彼の人生と言う道を振り返る意だったのかもしれない

2014-03-15 03:18:35
植物園に行く @tommTycho

全ての人々にその日がある、私が行く時が来たようだ 私はここに留まるのをやめた 私はこのために生まれた 振り返っても行く人は誰もいない、長く孤独な道 私はこのために生まれた 私を憐れんだりしないでください 私はこのために生まれたのです https://t.co/3hkaFJJ6t8

2014-03-15 03:20:14
植物園に行く @tommTycho

旅ビトも山頂のゴールには同行者と一緒に入ることは出来ない。最後に通る道は一人分しか用意されていないのだ。俳句の解釈でもあったけど、「この道は自分一人の孤独な道であるが、かつて誰かが通った道かもしれない、また誰かが通る道なのかもしれない」、と想像することもできる。

2014-03-15 03:21:24
植物園に行く @tommTycho

RT @bitansan #風ノ旅ビト やっぱりサントラの曲のタイトルはジョゼフ・キャンベルの物語論だったのね。atonementはアトンメント=償いじゃなくてアトワンメント=一体化って説明してる本があったけど両方の意味なのかな?

2014-03-15 03:23:12
植物園に行く @tommTycho

Calling(天命) Commitment(旅の始まり) Threshold(境界線) Guardians(メンター) Demon(悪魔) Transformation(変容) Complete the task(課題完了) Return home(故郷へ帰る) 

2014-03-15 03:25:15
植物園に行く @tommTycho

Calling(天命) Commitment(旅の始まり) Threshold(境界線) Guardians(メンター) Demon(悪魔) Transformation(変容) Complete the task(課題完了) Return home(故郷へ帰る) 

2014-03-15 03:25:15
植物園に行く @tommTycho

が、氏のHeroes and the Monomyth (英雄と輪廻)という著作の構成らしいです。 atonement  1贖い、償い2キリストの贖罪(神学) 3協調 調和ってなってたけど、贖い、より調和って訳の方がいいかもな… http://t.co/5529QBEwLE

2014-03-15 03:27:35
植物園に行く @tommTycho

atone(一つになる)+ment(名詞)だから、調和、でもいいんだろうけど、償い、が正式な意味なんだよな…あくまでサントラは内容の目安だけどそれにしてもこの二つじゃあの寺院の場面の意味合いが全く違ってくる

2014-03-15 03:32:09
植物園に行く @tommTycho

〈調和の場合〉自分を導いてきた先祖の過去と、旅ビトの運命が一つになり、過去と現在が調和する。寺院は過去の文明と旅人の運命が一つになる場所 〈償いの場合〉寺院で先祖の争いの歴史、文明が過ちによって滅んだ過程を知り、その業を浄化するために山頂を目指す、寺院は旅ビトの背負った業の象徴

2014-03-15 03:34:40
植物園に行く @tommTycho

印象をまとめたかんじでは、償いと調和両方の意味なんじゃね?という気がした。自分がプレイした感じでは、最初は自分がなぜ生まれたのか、誰が自分を呼んでいるのか確かめるために山頂を目指していたけど、寺院で過去を知ってからは、「山頂を目指す」事が目的になった気がする

2014-03-15 03:35:50
植物園に行く @tommTycho

業ともいえる過去を知ることで、旅ビトの過去と今が調和したんだと思う。今まで見てきた墓標や、廃墟や怪物の正体を知り、自分が何に連なる存在なのか知ることが出来た。こうした過去との一致(悲しい過去であっても)があって初めて山頂を目指すという運命を自覚できたんじゃないだろうか(個人の感想

2014-03-15 03:38:48
植物園に行く @tommTycho

ほかの方のブログにあった考察だけど、最終ステージの旅ビトは雪山で息絶えた旅ビトの魂なんだと思う…最終ステージの曲名がApotheosis神格化、だけど神格化って大体が死んだ後に行われる行為だしなぁ…体は雪山で朽ちたけれど、魂だけが吹雪を越えて雲を越えて山頂を目指したんだろう

2014-03-15 03:40:56
植物園に行く @tommTycho

過去に傷を負った先祖たちの魂が、導く以外に旅ビトに何か干渉できるとは思えないんだよね…雪山で死んだ旅ビトを生き返らせる、は不自然だけど、自分たちと同じ場所に来た旅ビトの魂をその先まで導く、ということなら彼らにも出来るんじゃないか…(個人の感想です

2014-03-15 03:42:30
植物園に行く @tommTycho

あと某さんが仰ってたなぜ 「journey」が日本語タイトルで「風ノ旅ビト」になったのかって考察で、これは折口先生の「マレビト」をもじってるんじゃないかって言うのはすごい面白いしありそうだなって思いました。仮面をつけた旅人ってもろマレビトだし、プレイヤー自体があの世界のマレビト。

2014-03-15 03:51:21
植物園に行く @tommTycho

外部からの来訪者(異人、まれびと)、常世からやってくる仮面を被った旅人のことだけど、「外部からの来訪者」が現実世界からやってくるプレイヤーで、旅ビトはその依代、あの仮面の下の顔はプレイヤー自身の顔なのかもしれないという考察でした。

2014-03-15 04:01:23