羽仁五郎「「アンネの日記」を書いたアンネ・フランクはオランダ人で、舞台はアムスタルデムだった。」

日本では、この悲しい「アンネ」の名前を生理用品の名前にしている会社まであるようだが、どこまで本気でどこまで冗談なのか。ヨーロッパではこのようなことは許されないだろう。by 羽仁五郎
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羽仁五郎bot @gorohani

40年ぶりに見る日本は、残念ながら僕が本に書いてきたとおりになってしまっている。だから僕は雑司ヶ谷の土の中からときどきつぶやくことにした。『Aus der Kett,die uns entehrt; Schmieden wir ein blitzend Schwert.―我らを辱める鉄の鎖から、我らは輝く剣を鍛える―』

羽仁五郎bot @gorohani

「アンネの日記」を書いたアンネ・フランクはオランダ人で、舞台はアムスタルデムだった。日本では、この悲しい「アンネ」の名前を生理用品の名前にしている会社まであるようだが、どこまで本気でどこまで冗談なのか。ヨーロッパではこのようなことは許されないだろう。

2014-03-15 23:22:22
羽仁五郎bot @gorohani

「アンネ」という名は、ナチスの暴政に対する国民の忘れがたい思い、二度と戦争は許さない、二度と軍国主義は許さないという誓いの合い言葉なのだ。

2014-03-15 23:24:27
羽仁五郎bot @gorohani

オランダはそのアンネ・フランクが虐殺された国であるだけに、ナチスに対する憎しみが強い。1970年ドイツのハイネマン大統領の初訪問に対しても賛否が分かれた。各地のユダヤ人団体も、ハイネマン歓迎に参加する団体としない団体とがあった。

2014-03-15 23:29:46
羽仁五郎bot @gorohani

ハイネマン大統領を歓迎する式典に参加するユダヤ人団体は、「ハイネマンはナチスに抵抗していた、したがって自分は出席する」と。参加しない団体は「たとえ抵抗していてもその責任を免れることはできない、したがって自分は出席しない」と、非常にはっきりした声明を出した。

2014-03-15 23:33:23
リンク はてなダイアリー 「アンネの日」に込められた情熱。「生理」を解放せよ! - うさうさメモ 最近、「生理用品」について調べています。 その中で、日本の生理用ナプキンの先駆者であった「アンネ社」..
リンク Wikipedia アンネ (企業) アンネ株式会社は、かつて存在していた、ナプキンやタンポンなどの生理用品を製造・販売する会社。1993年(平成5年)に東証1部上場のライオンと合併した。 社名は『アンネの日記』で月経に関する記述があったことに由来する。日本では平安時代以降、長く穢れとして扱われていた月経を『アンネの日記』では“甘美な秘密”と肯定的に表現しており、これがアンネ社の目指す月経観であるとして社長が「アンネ」を社名として提案した。 1961年「アンネナプキン」発売時のキャッチフレーズは『40年間お待たせしました』である。これは、アメ