《私はいかにして「あまさっちゃ人」になったか。または、原発事故発生直後に大規模遠距離避難ができなかった理由》

原発事故発生直後(数ヶ月以内)に 旧ソ連では子どもの大規模遠距離避難が実施され、 日本では実施されませんでした。 それはなぜだったのかについて、 一側面を自己ツイートでまとめてみました。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年3月から夏にかけて。 原子力発電所が世界最悪の事故を起こしている状況なのに、 住民の避難を阻んだ最大の力は、 住民自身も含めての 可能な限り昨日と同じように今日を生活しようとする 圧倒的多数の人々の意識だった、 と私は考えている。

2014-04-11 20:55:48
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

起きている出来事の深刻さを理解させ、 人々を避難させるためには、 最低でも3つのものが必要だった。 適切な情報を提供する専門家と科学者。 昨日と違うことを決断する政治家(地方と国で)。 決断を実行するための強制力(警察、消防、自衛隊)。 @karitoshi2011

2014-04-11 20:59:15
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

実際には、 専門家や科学者が、政治家にも住民にも情報を提供しなかった。 政治家には情報が届かず、決断もしなかった。 (地方には例外がいたが) 政治家が決断しなかったので、組織毎に判断して組織を守った強制力。 何より義務を放棄したのがマスコミ。 @karitoshi2011

2014-04-11 21:02:55
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

全員の避難ができなくとも、 ある程度の住民の避難が可能になるには、何が必要だったか? 政治家の決断と、強制力の発動はなくても、なんとかなったはずだ。 となると、ある程度の割合の避難であれば、 専門家の情報提供と、マスコミの報道だけでも何とかなった。 @karitoshi2011

2014-04-11 21:06:10
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「専門家」と私は繰り返し書いているが、 彼らの殆どは「官」と「財」から収入を得ており、 「民」よりも「官」と「財」に対する義理を感じている部分が多い。 マスコミは「財」から収入を得ており、「官」から許認可を得ている。 「民」に責任を感じていない。@karitoshi2011

2014-04-11 21:16:13
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「政治家は国民の鏡」という警句があるが、 まさにその通りなのだろう。 この国の政治家は、 憲法に記してある「主権在民」を実質的に無視している。 現政権においては、実質に合わせて「主権は国民には存在しない」と意思表示している。 それは国民の鏡像だ。 @karitoshi2011

2014-04-11 21:19:48
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「官」と「財」、そして「政」は、 国民そのものを守ることよりも、 国そのものを守ろうとした。 (この点に関しては、民主党政権も自民党政権も同じだった) 結果、住民の多くは、「自主的な判断」をする人をもてあました。 方言でいう「あまさっちゃ人」だ。 @karitoshi2011

2014-04-11 21:23:15
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

「あまさっちゃ人」は、直訳すれば「もてあまされた人」になる。 ニュアンスで言えば「どう対応すれば良いのか判断に困るし、対応にも困るような言動をする人」だ。もうちょっと露骨に言えば「迷惑な人」だ。 あの時確かに、放射能の話をすると迷惑そうな反応だった @karitoshi2011

2014-04-11 21:29:22
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

必要な人が必要な行動をしなかった。 そのために、自主的な情報収集を行い、自主的に判断し、自主的に行動した私は 「あまさっちゃ人」になった。 「あまさっちゃ人」はどう扱われるか? 基本的な対応は、決まっている。 「見てみぬ振り」をされるのだ。 @karitoshi2011

2014-04-11 21:32:43