メモ:女川発電所の設計思想「日本三大実録」より
- ginco_silver
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週末からの「女川歴史民俗紀行」の前に,この展覧会は見ておこう。女川発電所の設計思想に大きな影響を与えた古文書『日本三代実録』も展示されている。→『歴史にみる震災』展(国立歴史民俗博物館) http://t.co/sUPGYwi6vS
2014-04-21 21:51:24【お知らせ】「女川歴史民俗紀行」に参加される皆様!お近くの方は,いま国立歴史民俗博物館で開催中の『歴史にみる震災』展はお薦めです。女川発電所の設計思想にも大いに関わる古文書『日本三代実録』『駿府記』も展示されています。→ http://t.co/sUPGYwi6vS
2014-04-21 21:58:05『日本三代実録』が,いわば女川の「核心」だからね。あの古文書がなかったら,千年に一度の大地震と大津波に耐えられる発電所はこの世に誕生してなかっただろう。
2014-04-21 22:10:00@JPN_LISA 見る人は見ていたのですね。そういえば、東通では隣どうしだけど、東北電力の方が敷地高さが3m高い。これも東北DNAがそうさせたのか。「電力と震災 東北「復興」電力物語」(町田 徹)を読むと、2社の文化の差を感じる
2014-04-21 22:59:30@Harry97200880 東電も福島で地質調査をやっているのですが,そこでは東北電力が行った調査の様な津波痕跡は見つからなかったのです。東北電力の場合は,古文書や地元の民俗伝承からも津波の記録を洗い出し,遂に貞観津波の痕跡を見つけたんです。この違いでしょうか。
2014-04-21 23:10:02@JPN_LISA 貞観地震が話題になった頃、東電も否定できないと知っており対応を考え出した。ただ、運悪く中越沖地震復旧が最優先で予算が間に合わなかった。この時、高価で抜本的な対策でなく、安価で建屋一部区間の水密化でもしていれば話は変わったと思う。これは東電が後世に伝えるべき知見
2014-04-21 23:19:53女川には、地域の人が、あそこなら安全だから避難しようと思った(普段から思っていたのでしょう)文化があったことは特筆すべき点だと思う。それは、東北電力の日頃のまじめな取り組みがものを言っていると思う。確かに付き合いのある東北電力さんは、田舎電力と謙遜はするが愚直にものを考えていた。
2014-04-21 23:31:26@Harry97200880 タイミングの運,不運というのも確かにあるかもしれない。女川の場合は2005年の宮城県沖地震の後に自主的に(国からの指摘ではなく)6600ヵ所の耐震裕度向上工事をやって,3.11震災前にそれがちょうど完了していました。対津波構造は初号機設計当時から。
2014-04-21 23:33:30@JPN_LISAそうですね。2005年の夏休みでしたよね。女川は全部止まってしまい必死に再稼働に取り組んでました。その際、今後30年の発生確率99%と言われた宮城県沖地震を身近に考えて、訳の分からない基準地震でなく、身近な地震を念頭に出来ることを着実に進めておられたと聞きました
2014-04-21 23:39:31@Harry97200880 「身近な地震を念頭に」という感覚はその土地を見ると分かりますね。発電所の周囲にある神社は発電所と同じく高台にあり、これがこの土地の古くからの謂われを表していると思います。私が格別に女川発電所に土着性、土俗性を感じる点はこういう理由からです。
2014-04-22 00:09:43@Harry97200880 規制庁は新たな規制基準として「女川モデル」を提示すればよかったのだと思います。すでにIAEAは女川のデータを世界の原子力施設の安全対策の為に活用すると言っているわけで、これならば、どこの電力会社も納得するし、国民にも分かりやすい。
2014-04-22 01:43:06という事で、週末の着地型観光ツアー「女川歴史民俗紀行」は、女川発電所の設計思想を平安時代の古文書『日本三代実録』まで辿る歴史巡りの旅です。
2014-04-22 02:07:32参考資料として
【参考】貞觀三陸地震 『日本三代實錄』巻十六より 原文・書き下し、現代語訳
http://www.geocities.jp/sybrma/377jougannosanrikujishin.html(via 小さな資料室)
【資料PDF】西暦869年の貞観地震・津波について
佐竹健治
宍倉正展・澤井祐紀・岡村行信・行谷佑一(産総研 活断層・地震研究センター)
http://outreach.eri.u-tokyo.ac.jp/ul/EVENT/201103_Tohoku_DanwaDrSatake_Jogan.pdf