茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1228回「野外で、映画を上映しない」

脳科学者・茂木健一郎さんの5月7日の連続ツイート。 本日は、ネット時代に思うこと。
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茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート第1228回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、ネット時代に思うこと。

2014-05-07 07:19:44
茂木健一郎 @kenichiromogi

やえ(1)鈴木芳雄さん(@fukuhen)が、カメラは小さな穴から投影される光学現象であるみたいなホックニーの言葉をツイートしていて、それでぼんやり連想していたら、突然、子どもの頃にあった、町内会か何かの映画上映会のことを思い出した。

2014-05-07 07:21:21
茂木健一郎 @kenichiromogi

やえ(2)何度もあったわけではなく、おそらく一度か二度しかなかったのだけれども、鮮明に覚えているということは、それだけ楽しかったのだろう。公園の、いつもは「そこを超えるとホームラン」と決めているブランコに白いシーツが張られて、寅さんだったかそんな映画が投射された。

2014-05-07 07:22:28
茂木健一郎 @kenichiromogi

やえ(3)当然、シーツは風で揺れるし、光を見て蛾が集まってきて、寅さんのほくろの数が増えたりするのだけれども、みんな、割れた音も気にせずに、映画を熱心に観ていた。子どもたちは、あまり熱心に見ずに、とにかく人が集まっているというので飛び回って騒いでいる。

2014-05-07 07:24:53
茂木健一郎 @kenichiromogi

やえ(4)あの現場って、楽しかったなあと、振り返って思う。ネットを通したつながりにはない性質があったのだ。たとえば、このツイッターを通したつながりも、一つのコミュニティだと言えないわけではない。しかし、やりとりされる情報はテクストだけで、それ以外の場というものがない。

2014-05-07 07:26:22
茂木健一郎 @kenichiromogi

やえ(5)野外での映画上映会では、映画という「情報」以外にも、たくさんの情報が飛び交っている。風がそよぎ、さまざまなノイズが来て、人々が会話し、お互いの存在を感じる。そのような情報の場を共有することで、一つのambienceが生まれて、お互いの体験として記憶されていくのだ。

2014-05-07 07:28:33
茂木健一郎 @kenichiromogi

やえ(6)ツイッターやフェイスブック、あるいはLINEを通したつながりには、そのようなambienceがない。そんなネットの制限を、大きな欠陥として感じることがある。ネットを通して、テクストや画像だけをやりとりしていると、共通できるもののbandwidthが狭くなってしまうのだ。

2014-05-07 07:30:21
茂木健一郎 @kenichiromogi

やえ(7)それで思い出すのが、東京芸大で授業をしていた頃の、上野公園の飲み会で、あれは振り返ると実に素敵な「場」だったのだ。夜風に吹かれ、ブランコに揺られ、お互いに相手の存在を感じつつ、視野の端の方でみんなを見ている。あんな現場を、持ち続けることが大切だと思う。

2014-05-07 07:32:03
茂木健一郎 @kenichiromogi

やえ(8)場の共有には、ある種の緩さがなくてはならない。フラッシュモブとかは、一つの目的を達成するためのシンクロだが、ここで言っている野外上映会的な、あるいは公園飲み会的な現場とは、ノイズの広がりこそが大切であって、特定の目的のみを目指すものではないのだ。

2014-05-07 07:33:59
茂木健一郎 @kenichiromogi

やえ(9)一方で、野外上映会的、あるいは公園飲み会的な現実の体験を持つことは大切だと思うが、その一方で、ネット上でそんなbandwidthを持った現場ができないものかと思う。ツイッターのTLは解釈の仕方によってはそんな場とも言えるが、おそらく何かがまだ足りないと思う。

2014-05-07 07:35:26
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート第1228回「野外で、映画を上演したい」でした。

2014-05-07 07:35:57