茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1230回「科学する、心」
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連続ツイート第1230回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、今朝、歩きながら思い出していたこと。
2014-05-09 06:58:17かこ(1)昨日、大手町付近を歩いていたら、アオスジアゲハが飛んでいた。あんまり見事だったので、パチパチ何枚か撮った。この蝶は、ほれぼれするほど美しく、また、飛翔能力も高くて飛行の軌跡も見応えがあるが、都会にも適応していて、よく街路樹の上を飛んでいるのを見る。
2014-05-09 07:00:01かこ(2)アオスジアゲハとの出会いは、いつも、心の稲妻のような衝撃をあたえる。思い出すのは、大阪の中心で、二頭(そう、蝶屋は、一頭、二頭と数えるのだ)のアオスジアゲハが、くるくるお互いのまわりを回っていた光景。あれはなわばり争いだったのか、愛だのダンスか、とにかく面白かった。
2014-05-09 07:02:08かこ(3)さて、人間というものは、うかつなもので、アオスジアゲハが飛んでいると、「あっ、飛んでるわ」としか思わないが、本当は、彼らの人生というか、蝶生を想像してみると、面白い。食草はクスノキ。卵を生み付けられ、かえった幼虫は、あの背の高い木の上をもぞもぞ這ってきたのだ。
2014-05-09 07:03:47かこ(4)アオスジアゲハの幼虫は、風が強い時とかに、クスノキから落ちてしまったら、どうするのだろうか。何しろ背の高い木だから、あれ〜とかなり勢いがついて落下してしまう。そこから、どうやってクスノキに復活するのか(あのごわごわした樹皮を上るのは大変そうだ)あるいはしないのか。
2014-05-09 07:05:06かこ(5)アオスジアゲハは飛翔能力が高いから、固有の問題もあると思う。生まれたクスノキの周囲を飛んでいればいいが、それだけでは分布が広がらない。ランダムウォークなのか、クスノキの成分をかぎ分けるのか、とにかく、どこかに飛んでいかないと、新しい棲息域を獲得できぬ。
2014-05-09 07:06:37かこ(6)ところが、飛んでいったら、そこはクスノキもないし、交尾する他のアオスジアゲハもいない、砂漠地帯のようなところかもしれないのだ。海に出てしまったら、彼らはどうするのか。何しろ、海の向こうに島があってクスノキこんもりかもしれないから、海を無視してはいけないのだ!
2014-05-09 07:07:45かこ(7)こと左様に、「もし自分がアオスジアゲハだったら」と想像して、起こりうる事態をあれこれと想像して見ると、実にそこにドラマがあるというか、偶有性のかたまりというか、波瀾万丈なのであって、それを生きているアオスジアゲハ君という存在は、実に偉いと思えてくるのである。
2014-05-09 07:09:01かこ(8)カマキリの気持ちになったことがあるか。秋にまるまる太ったのを見つけてあっ、カマキリがいる、と思うだけでなくて、卵から生まれた小さな幼虫は、一体何を食べているのか(アリマキらしい)。あと、川の小魚は、大雨で濁流になった時、どうやって流されないのか、想像すると実に面白い。
2014-05-09 07:17:00かこ(9)アオスジアゲハ、カマキリ、川の小魚の気持ちになって、その人生というか、蝶生、虫生、魚生で起こりうることを想像して、どうするか考えてみること。ここに、「科学する心」の萌芽があると、私は思っている。科学する心の反義語は、対象に対する無関心である。
2014-05-09 07:18:48